新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<34>「純粋詩」の北村太郎「孤独への誘い」
作品批評というものは
対象とした作品の作者を明らかにしないでは成り立ちませんから
反論も予想されますし
返り血を浴びる覚悟を要することでしょうし
時評ともなれば
対象は広範に渡りますから
勇気も必要であることでしょうし
「純粋詩」は全国誌でしたから
反響もすごかったことが想像されます。
「純粋詩」への北村太郎の「詩壇時評」の2回目は
1947年3月号(第13号)に発表した「孤独への誘い」でした。
ここではテーマは2点。
一つは「空白はあったか」と題する「1」、
もう一つは「『死んだ男』について」と題する「2」。
「空白はあったか」は
「現代詩」1月号が組んだ座談会「現代詩の系譜と其の展望」への
これも激越な批判でした。
◇
北川 新しく出てくる詩人のためにどうしても啓蒙が必要と思うんだ。それは僕らの義務だと思う。広い意味の戦争時代、ここ10数年というものはまったくブランクだからね。
近藤 悪時代が書かせるんだね。
北川 それにしても、今は、一等啓蒙を必要とする時代なんだ。自己啓蒙の意味もあるんだよ。
杉浦 ……今までに約10年間のブランクが出来てしまった。つまり戦争中は日本の詩が芸術的高貴(香気)よりは愛国主義的精神に傾いて詩が本質を失いかけていました。
安彦 私ども20代の青年は全く無知です。詩について何もしらない。詩とはどんなものかと人にきかれたなら答に窮するものが多いと思います。
笹沢 そうだろうなあ。恰度10年以上も詩が空白になってしまったんだから。これは我々の大なる責任だ。 (以上いずれもゴシック北村)
※「ブランク」や「空白」の語をゴシック体(太字)に印字の指示を出したのは北村太郎自身であることの注記です。
(現代詩文庫61「北村太郎詩集」所収「孤独への誘い」より。原文の漢数字は洋数字に変えました。編者。)
◇
まずピックアップされたのが
座談会の中のこのような別々の場面での発言でした。
ここでは座談会の出席者の名前を問題にするものではありませんし
北村太郎も当時それを問題にするよりは
発言の内容を重視したはず、といえばきれいごとにすぎるでしょう。
この文には、
だれそれと発言者の固有名をあげて個人を追及するというよりも
発言内容そのものが詩人にとっては火急の問題でしたから
批判した対象は固有名ではないように見えますが。
まるで存在を否定されたのですから
存在を否定した個人(先輩詩人)への怒りは
滲み出ることになります。
これを読んだ若き詩人、北村太郎がどのような感情を抱いたか
それを察するに余りありますが
その感情は努めて押し隠されようとされます。
戦争の時代を座談会のこれら発言のように
空白、ブランク、何もなかった――と一括(くく)りにされた詩人は
反発の根拠、理由を
冷静に明示しようとしています。
どのようなことを
北村太郎は言っているでしょうか。
◇
僕は20代の詩人諸君にお訊ねしたい。君たちは昭和6年ごろは小学生だった。12年ごろは中学生だった。そして16年ごろは大学生だった。その時に大戦争が起った。君たちは戦場に行った。そして20年の夏に還って来た。その数10年のあいだに、君の詩は、君の存在は、君の精神はブランクだったか。空白はあったか。
(同。)
◇
ここに出てくる君たちとは
北村太郎自ら(の世代の詩人)を指していることは明らかです。
詩人は続けます。
空白なんてものはどこにもありはしない。僕たちが、僕が、君が、そして個人個人が息も絶えずに存在している限り絶対にない。
――と。
長い戦時体制(戦争)の下で
僕たちは息をしていたのですよ。
存在していたのですよ。
ブランクなんてもんじゃなかったのですよ。
僕たちは
孤独のうちに
生きていたのですよ。
詩を生きていたのですよ。
(という言葉を書いてはいませんが。)
◇
そして
愛国詩集とか辻詩集とかに
名前を連ねた多くの先輩詩人が存在したことを
僕らは忘れまいと念じます。
このことは言っておかないといけないことと
自らにも釘をさすかのように。
彼らが空白だ、ブランクだ、という時代にぼくらはまさにこの肉体を持って生きてきた、
――と断固として言い放ちます。
◇
この「孤独への誘い」が載った「純粋詩」の同じ号に
鮎川信夫の評論「囲繞地」が載り
田村隆一の詩「目撃者」
三好豊一郎の詩「青い酒場」が載りました。
「荒地」は
水を得た魚のように旺盛でした。
この勢いの中で
「2」の「『死んだ男』について」が書かれます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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