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2017年11月13日 (月)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<35>「純粋詩」の北村太郎「孤独への誘い」続

 

 

 

「孤独への誘い」の「2」は鮎川信夫の詩への

オマージュです。

 

と、言ってよいと思います。

 

「純粋詩」1月号に載った鮎川信夫の「死んだ男」を読んだ詩人が

素直にその感動を書き残すことを

時評の役割と認識したスタンスが伝わってきます。

 

1947年1月の詩誌を見渡せば

そこに「死んだ男」という詩が「純粋詩」の中にあって

それを案内することだけでも

批評になるという確信が詩人にはあったのでしょう。

 

ざっと見渡したこの月の詩誌のなかで

最も歯ごたえのある詩が

この「死んだ男」だったに違いなかったはずでした。

 

 

この詩はすでに

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊鮎川信夫「死んだ男」」で読みましたが

ふたたびここでめぐり合うとは

予期しないことでした。

 

「荒地」の詩人が

仲間うちの詩をどのように読んだのかという意味でも

とても惹かれるものがありますので

ここでもう一度目を通してみましょう。

 

 

死んだ男

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

遠い昨日……

ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、

ゆがんだ顔をもてあましたり

手紙の封筒を裏返すようなことがあった。

「実際は、影も、形もない?」

――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

 

Mよ、昨日のひややかな青空が

剃刀の刃にいつまでも残っているね。

だがぼくは、何時何処で

きみを見失ったのか忘れてしまったよ。

短かかった黄金時代――

活字の置き換えや神様ごっこ――

「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

 

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、

「淋しさの中に落葉がふる」

その声は人影へ、そして街へ、

黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

 

埋葬の日は、言葉もなく

立会う者もなかった、

憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。

空にむかって眼をあげ

きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。

「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」

Mよ、地下に眠るMよ、

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

(現代詩文庫9「鮎川信夫詩集」より。)

 

 

北村太郎は書き出しの4行、

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

――に鷲づかみにされ(捉えられ)、

最終行の、

 

君の傷口は今でもまだ痛むか。

 

――という1行にいたって強く感動したということをまず述べます。

 

詩の冒頭行から終行へといたる

詩を読むという営為の

詩が心を動かすことの仕組みを語ろうとしますが

それを説明することの困難さを十分に知っています、はじめから。

 

それはどこからやってくるでしょう?

 

それを批評する言葉なんてないよ

――とはじめから投げ出すようですが

投げ出すのではなく

やはりそれを言葉にすることを試みるのです。

 

 

それは、他人の容喙(ようかい)を永遠に拒否するもの。

 

嘴(くちばし)をはさむことを受けつけない個の存在。

 

だから、技術的批評は無益なのです。

 

だから、

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか

――という最終行の誘(いざな)いに乗るだけだ。

 

その、孤独への誘(いざな)いに、

渦まく流れのなかの木の葉のように

他愛なく引きずりこまれるだけだ

――と記します。

 

というように、

これは批評ではなく

つぶやきであることを述べますが

このつぶやきには

詩とは何かということのヒントが含まれています。

 

 

そこで指摘するのが2点、

そのうちの一つが、この詩の平易さ。

 

逆に言えば、難解な詩への考察です。

 

もう一つが、この詩を読んだ時に起こる困惑について。

 

 

第2のつぶやきは、

この詩に相対したときの困惑について考えながら

いつのまにか

詩とは何か

詩は何処にあるか

――という大テーマについての濃密な思惟の展開になっています。

 

大テーマを語っているのにもかかわらず

それはさりげないようなので

通りすぎそうなのですが

後々、尾を引くように

考えさせられるつぶやきです、それは。

 

 

すでに前置きで

 

きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか

――という最終行の

孤独への誘(いざな)いに

他愛もなく引きずりこまれた「詩の経験」が語られているのですが

ここでもまたその経験が考察されます。

 

ここでTS・エリオットが引用され

詩(という観念)は、われわれが読んだすべての詩からも抽象されない

――という

どこにもないものだ。
 
けれど、
ある時、ある場所で、ある人が

この詩「死んだ男」を読んで困惑を感じたというようなことがあれば

その人に詩は存在したということができるだろう。

 

詩はそういうものに近いという

詩(人)論になっています。

 

つぶやきの形での。

 

 

この時評のタイトル「孤独への誘(いざな)い」の意図が

最後の最後でようやくわかることになりました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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