新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一「星の肖像」へ
木原孝一の半自伝「世界非生界」(現代詩文庫47「木原孝一詩集」所収)によれば。
「荒地」グループと接触したのは
「VOU」に入った翌年の昭和12年(1937年)の夏休みに
黒田三郎が上京して
洗足池(現・東京大田区)で会ったころのことです。
府立実工(東京府立実科工業学校)は
旧制中学(5年制)のことで
その建築本科に入学したのが昭和9年(1934年)。
3年生のとき、昭和11年に
自転車で行ける距離に住んでいた北園克衛を訪ね
「VOU」へ入会しました。
「VOU」に作品を発表すると
神戸の中桐雅夫が「LUNA」を送ってきたり
田村隆一や北村太郎が手紙をくれたりした
――などとあり
上京した黒田三郎と会ったのは
これら通信による交流の流れのなかでのことだったようです。
◇
1937年といえば
中原中也が没した年で
大正11年(1922年)生まれの木原孝一は15歳でした。
「荒地」の草創世代が
中也が他界した年に
中学高学年であったことは
ちょっとした驚きであるとともに
銘記しておきたいことです。
もし中也が生存していれば
40代半ばで
北村太郎の言う先輩詩人の世代にあたりますから
同時代ともいえるわけです。
中也と「荒地」は
さほど遠い世代ではありませんでした。
◇
現代詩文庫47「木原孝一詩集」(1972年)は
詩集「星の肖像」「木原孝一詩集」「ある時ある場所」をもとに
作者がやや強めの編集を加えて作られたものですから
たとえば「星の肖像」という詩(あるいは詩群)が
どこに配置されているのか
散文詩集「星の肖像」とのちに呼ばれる作品との関係もわかりません。
4部立ての「Ⅳ」に
散文詩が集中して配置されていますが
これらが初出時の「星の肖像」を含んでいるのかも
わからない作りになっています。
◇
「純粋詩」に木原孝一が発表した作品は――。
1946年12月・第10号
星の肖像
1947年2月・第12号
シュルレアリズムに関するノート(評論)
同年8月・第18号
Chanson d‘amour
ヂレッタンティズムの誘惑(評論)
同年10月・第20号
純粋な鶯の変声期に就いて(評論)
1948年1月・第23号
告別
同年3月・第24号
新しきフランスへ(評論)
――となっていて
この中の「星の肖像」を読みたいところですが
これを現代詩文庫47「木原孝一詩集」に見つけることはできません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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