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2017年11月15日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一「星の肖像」へ

 

 

木原孝一の半自伝「世界非生界」(現代詩文庫47「木原孝一詩集」所収)によれば。

 

「荒地」グループと接触したのは

VOU」に入った翌年の昭和12年(1937年)の夏休みに

黒田三郎が上京して

洗足池(現・東京大田区)で会ったころのことです。

 

府立実工(東京府立実科工業学校)は

旧制中学(5年制)のことで

その建築本科に入学したのが昭和9年(1934年)。

 

3年生のとき、昭和11年に

自転車で行ける距離に住んでいた北園克衛を訪ね

VOU」へ入会しました。

 

VOU」に作品を発表すると

神戸の中桐雅夫が「LUNA」を送ってきたり

田村隆一や北村太郎が手紙をくれたりした

――などとあり

上京した黒田三郎と会ったのは

これら通信による交流の流れのなかでのことだったようです。

 

 

1937年といえば

中原中也が没した年で

大正11年(1922年)生まれの木原孝一は15歳でした。

 

「荒地」の草創世代が

中也が他界した年に

中学高学年であったことは

ちょっとした驚きであるとともに

銘記しておきたいことです。

 

もし中也が生存していれば

40代半ばで

北村太郎の言う先輩詩人の世代にあたりますから

同時代ともいえるわけです。

 

中也と「荒地」は

さほど遠い世代ではありませんでした。

 

 

現代詩文庫47「木原孝一詩集」(1972年)は

詩集「星の肖像」「木原孝一詩集」「ある時ある場所」をもとに

作者がやや強めの編集を加えて作られたものですから

たとえば「星の肖像」という詩(あるいは詩群)が

どこに配置されているのか

散文詩集「星の肖像」とのちに呼ばれる作品との関係もわかりません。

 

4部立ての「Ⅳ」に

散文詩が集中して配置されていますが

これらが初出時の「星の肖像」を含んでいるのかも

わからない作りになっています。

 

 

「純粋詩」に木原孝一が発表した作品は――。

 

1946年12月・第10号

星の肖像

 

1947年2月・第12号

シュルレアリズムに関するノート(評論)

 

同年8月・第18号

Chanson ‘amour

ヂレッタンティズムの誘惑(評論)

 

同年10月・第20号

純粋な鶯の変声期に就いて(評論)

 

1948年1月・第23号

告別

 

同年3月・第24号

新しきフランスへ(評論)

 

――となっていて

この中の「星の肖像」を読みたいところですが

これを現代詩文庫47「木原孝一詩集」に見つけることはできません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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