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2017年11月 3日 (金)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<33>「純粋詩」の北村太郎「詩壇時評」

 

 

 

ひと言でいえば考えるという作用の消滅。だが考えるとは何だ? 学生が西田幾多郎や田辺元や河合栄治郎の著作を小脇に抱えこみ、ダス・カピタルを机上に積んでいる図を見て、いまの若き世代は思想に飢えているなぞと脂さがるほどばかげたことはあるまい。(略)。

 

少なくとも食に飢える程度に人間が思想に飢えるなどというばかな話はないのである。僕はかれらの一人一人の顔を見る。これが思想に飢えた面か? 僕は吹き出す。冗談じゃない。

 

(現代詩文庫61「北村太郎詩集」より。改行を加えました。)

 

 

北村太郎の「詩壇時評」は4部立てで

「1」「2」をやや長めの前置きにあて

「2」に以上のやや過激な慨嘆(がいたん)をはさみます。

 

この吐露!に遭遇して

もう一度、この時評の冒頭部がどんなだったか

眼を覚ますかのようにして読み返してみると、

 

僕らはこの数年間を激烈にして苛酷、冷厳にして無常な時間のうちに過してきた。もちろんそれは僕らだけではない。無数の人間群が同じことを経験してきた。しかし重大なのは僕らが(或いは僕だけかもしれないが)それを経験してきたということだ。

――と書かれてあるのに巡りあいます、はじめて読むかのように。

 

人によってはこうなりはしないのでしょうが

「2」の激越な慨嘆にぶつかり

「1」 のはじまり、つまり、この評論の書き出しに戻るというような読み方だったことを

告白しなければなりません。

 

激烈にして苛酷、

冷厳にして無常な経験。

 

こう記されてあっても

はじめ、なんのことだか理解できず

「1」 を読み過ぎるだけであったことが偽らざる経過でした。

 

経験とは、

敗戦がもたらした

さまざまな困難を指すでしょう。

 

 

「純粋詩」の1947年3月号は

北村太郎が当時の詩作品への批評を買ってでたという

今日から見てそれだけでも瞠目に値する事件のようなことが起きていました。

 

初期の北村太郎には

論争も辞さない姿勢があったにちがいなく

そうでなければ批評などできないということに思い至り

驚きの眼を向けないわけにはいきません。

 

どのような経緯で

詩壇時評を北村太郎が担当することになったのでしょうか。

 

「純粋詩」主宰者の福田律郎らとの間に

どのような議論が行われた結果であったのでしょうか。

 

詳しいことは不明ですが

第10号(1946年12月)にいっせいに「荒地」グループが参加してきたのと入れ替わるように

それまで福田とともに編集の側にいた秋谷豊が「純粋詩」を去った事態と

北村太郎のこの「詩壇時評」担当の関係のダイナミズムは想像するしかありません。

 

 

現代詩文庫61「北村太郎詩集」(1975年、思潮社)には

評論・エッセイの部に

「純粋詩」に発表した散文3作、

「詩壇時評」(1947年3月号)

「孤独への誘い」(1947年4月号)

「投影の意味」1947年5月号)

――が収録されてあり

この選択が北村太郎自身のものであるはずですから

「純粋詩」発表の位置づけを

詩人が重要視していたことを物語ります。

 

これらの評論が

「荒地」の再出発へのバネの一つになったことは間違いないことでしょう。

 

「荒地」は

詩論の時代を戦後詩史の上に刻んだのですから。

 

 

先の冒頭部「1」「2」の続きを読んでみましょう。

 

「3」に入り、北村太郎はおもむろに

「下手な詩と上手な詩」について切り込みます。

 

FOU」第8号に発表された

園部亮という若い詩人の詩を

名指しでその詩行を取り上げて批判します。

 

いきなり悲鳴をあげて砕ける鏡!

――という詩行を

この行はいかにもまずい、と言って。

 

「悲鳴をあげて」が

イマアジュに乏しく

“実態のなさ”(原文は傍点)が読者を混乱させる、と指摘して。

 

そして、

ロオトレアモンやヴァレリイや

シュルレアリスムの誤読に触れながら

言葉の技術について突っ込みます。

 

技術は、詩人の天性と経験が一体になったときに発揮されるもので

どちらが欠けても存在しないという持論を展開するなかで

天性だけに頼る詩人が多く

そのために技術を駆使するように見えて

自己の可能性の範囲を苦しげにのたうち回っている。

 

経験という無限の荒地に

なぜ眼を向けないのかと疑問を呈します。

 

うまい詩が読者をごまかしていることに

警鐘を鳴らしているのですが

やはりここで言おうとするのは

小手先の技術というよりは

無限の荒地である経験の重みの方です。

 

 

次の「4」では

「ゆうとぴあ」第2号の村野四郎の「亜流論」に同感しながら

いくつかの詩誌に

北園克衛が使いはじめた「あ」という感嘆詞が目についたこと

人まねに無頓着なこのような詩人には

「ルネサンス」第4号所載のTS・エリオットを

10回か20回か読んでみることを薦めています。

 

詩人は自分の言葉でしか語らないのだから

他人の言葉を自作詩に使うときこそ必要となるのが技術、という主張を込めて。

 

 

そして最後に取りあげるのが

VOU」の再刊についてです。

 

昔と変わらぬ表紙に感動し

内容の異動にうなずきつつ

八十島稔という詩人のエッセイ「VOUの思ひ出」の時代遅れに

一部を抄出しつつあきれている。

 

1930年代のなれ合い、仲間褒めが

いまだに残存していることへの批判です。

 

ここで、「VOU」と「四季」との酷似について語りはじめるのですが

その矛先が

「純粋詩」12月号の木原孝一「星の肖像」へ向けられるにおよんで

ざわざわざわざわと

批評というものの厳しさを

北村太郎のこの時評が持っていることを考えさせることになります。

 

この詩もまた

北村太郎の眼には

8年前の「VOU」と同じ詩でした。

 

全く変化がない

――とこの詩を断じるのです。

 

 

木原孝一はかつて北園克衛の「VOU」に属し

やがて「荒地」へ参加する詩人でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

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