新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一と「詩学」
秋谷豊が第10号(1946年12月号)を最後に「純粋詩」を退きます。
「ゆうとぴあ」の創刊に加わるためでした。
「ゆうとぴあ」は1946年9月創刊。
岩谷書店が発行元で、発行人は岩谷満、
秋谷豊は、城左門、岩谷健司、武田武彦とともに編集に名を連ねます。
木原孝一は「ゆうとぴあ」創刊号に
詩を発表したこともあり
編集者であった秋谷豊と接触しますが
二人は戦時下の交書会の頃から
互いを知る関係にありました。
◇
「ゆうとぴあ」は第6号を出した1947年5月で終刊、
第7号から「詩学」に改題し(これが創刊号)
新陣容で再出発します。
この「詩学」に木原孝一が参画し
秋谷豊は参画しませんでしたから
2人は丁度入れ替わる形になりました。
こうして
秋谷豊は1947年7月に、第2次「地球」を創刊しますが
体調不良で2号で休刊、
1950年4月、第3次「地球」創刊への足どりをたどり
いっぽうの木原孝一は「詩学」編集者の道を歩むことになったのです。
◇
「地球」年表の1954年の項に
「地球」主催の第1回詩の講演会(3月7日)の報告記録があり、
木原孝一「現代詩のジレンマ」
鮎川信夫「『荒地』の詩について」
安東次男「抒情詩の課題」
沢村光博「ネオ・リアリズムについて」
秋谷豊「現代におけるリリシズムの問題をめぐって」
――などと講師と演題が列挙されています。
(そしてこの講演会は)
「詩学」「荒地」「列島」「時間」「地球」等、
有力詩誌代表による現代詩をめぐる公開シンポジューム会の観があり盛会であった
――と秋谷豊によるものと思われる付記があります。
さらに、10月31日の「地球詩集」および1954年度同人詩集出版記念会については、
木原孝一の「地球」グループの紹介に始まり、草野心平、服部嘉吉、安西均、大岡信、関根弘ら94名が参加、盛会
――の記録があります。
◇
1954年は「詩学」の編集者に木原孝一が着任して7年、
11月には第1詩集である「星の肖像」を発表しました。
「地球詩集・第1集」が7月に発行され
秋谷豊がの第1詩集「葦の遍歴」は12月に出されました。
新川和江が第1詩集「睡り椅子」を出したのは
これより1年早い、1953年の7月でした。
「荒地詩集」は1951年の第1集、
この年、1954年には第4集を出しています。
前回に読んだ木原孝一の「彼方」は
「荒地詩集1953」に初出発表されています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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