新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「*(わたしは水を通わせようとおもう)」
◇
*(わたしは水を通わせようとおもう)
わたしは水を通わせようとおもう
愛する女の方へひとすじの流れをつくつて
多くのひとの心のそばを通らせながら
そのとき透明な小きざみで流れるようにしよう
うねうねとのぼつていく針鰻のむれを水の上に浮かべよう
その縁で蛙はやさしく飛び跳ね
その岸で翡翠(かわせみ)は嘴を水に浸すようにしよう
ここの水辺は
まだだれも歩いたものがないのだから
ひと知れず愛する女をそこに立たせよう
もし女が小さな声で唄いはじめたら
わたしは安心して蝉の啼いている水源地へ歩いていこう
(現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」の「愛と死の数え唄」より。)
◇
この詩は
現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」の「愛と死の数え唄」では
「利根川」の部分ですが
元は「水辺」のタイトルの独立した詩でした。
ということが
詩篇部末尾の編者注でわかります。
このアンソロジーでは
第5詩集「OB抒情歌」の編集意図を踏襲して
「水辺」のタイトルを外し
「利根川」の部分詩であるように
編者、吉田加南子により構成されたものです。
「水辺」の独立性を排除して
「利根川」のなかに組み入れた格好です。
その意図を
思いめぐらしながら読むことになります。
◇
詩篇の再構成により
詩の読み方、読め方が変ってくるのかもしれませんが
詩集「愛と死の数え唄」を順に読んで来て
ここで初めて利根川という固有名が現れたことが
なんだか懐かしいような
いちだんと詩が近づいたようなのが
新鮮な驚きでもあります。
なぜ利根川なのでしょうか。
親しみの感覚とともに
まっさきにこの疑問が生れます。
◇
詩人の経歴のなかに
利根川を探すとなれば
ただちに萩原朔太郎、高橋元吉の生地・前橋と
詩人とのつながりに思い至りますから
詩は前橋の利根川にもはや飛んだということになり
「愛と死の数え唄」の詩群を
あらためて睥睨(へいげい)するような感覚に立たされます。
あらためて
詩集のかかえる時の遠大と
詩(人)の自在な時間意識(感覚)に思いを馳せることになります。
そうなると
これまで読んで来た詩を
より大きな時の流れのなかで組み立て直さなければならないかもしれません。
いっそう詩を読むことを促されます。
◇
この詩単体は
「水辺」のタイトルであった通り
愛する女との暮らしを水辺に擬して
これまでよりいっそうなのか
これから初めてそうしようとするのか
この水辺がだれも歩いたことのない唯一無二のものであるのだから
色とりどりの生きものが心地よく生息する新天地にしようという
詩人の願望を述べた歌のようです。
それ自体は
詩人が描いた美しい幸福の形です。
ところがこの詩を
「利根川」の流れの部分として読む時
この幸福の形は空しくなります。
そうなれば
詩の味わいを深めると言えるのかもしれません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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