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2017年12月 6日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一「音楽」へ

 

 

木原孝一の詩を読みましょう。

 

 

音楽1

 

        わたしは

        それがどんなものだったか記憶していない

        生まれて はじめてないた 涙のない声

 

ロンドンでは ひとりの詩人が

「荒地」のなかにしきりに神の降誕を求めていた

パリでは

アッシュの棒を愛した 嗄れ声の亡命者が

紫外線と 娼婦のなかに われわれの

「ユリシイズ」を熱烈に夢みた

 

    わたしは乳房を吸う舌のさきで

    そのひとたちの言葉を聞いたように思う

    あるいは 夜明けの鳥のはばたきだったかもしれない

 

        三才 大きな地震があった

        わたしの部屋は燃え

        玩具のケイブルカアは潰れた

 

母は 終末の日が来た と云って祈り

父は 革命 とつぶやいて恐れ

ちいさなビスケットと蟻の実を食べた

くさった梨のひときれののなかに 地獄も 神もあったのだ

世界でいちばん偉い王様はだあれ?

乞食の王様はだあれ?

 

    わたしはひびいった土地をはいまわる指のさきで

    人間の死が答えてくれたように思う

    あるいは 海の魚のはねる音だったかも知れない

 

        ひとりの天才が世界一周飛行に成功した

        ふたりの無政府主義者が死刑になった

        支那の英雄が爆薬で殺された 豪華な専用列車とともに

 

ちいさな鉱石ラジオに耳を押しつけると

木馬館や 水族館のマアチがきこえた

もっと遠くから 飢えた難民の声がきこえた

はるかに遠いところから

三人の独裁者の 空に反響する叫びがきこえた

マイン・カンプ!

 

    わたしはふるえる耳の底で

    はじめて魔術の声に呼ばれたように思う

    あるいは 地を潜る蟻の足音だったかも知れない

 

        わたしにはわかっていた

        この船は沈むのだ と

        海には国境がないが われわれには戦争があった

 

櫂がなかった 舵がなかった

救命具を背負ったわれわれの仲間は

おびただしい泡のなかで

孤独な心と心とを ロオプでつなぎあわせた

太平洋!

この深い広い 最大の海にはわれわれをつなぐなにものもない

 

    わたしは そのとき はっきり聞いた

    光りのなかの暗黒

    死のなかの時

    暴風雨のなかの沈黙の音の流れを

 

(現代詩文庫47「木原孝一詩集」より。)

 

 

この詩は

現代詩文庫47「木原孝一詩集」の冒頭詩です。

 

詩集をめくると1番目にある詩です。

 

 

詩論ばかり読んでいると

詩を忘れてしまい

なんだか空しくなってきますから

やはり詩を読むことにしました。

 

詩人の伝記を読んでいても

詩を読まないでいると

なんだか肝腎要(かんじんかなめ)から外れている気がしてくるのも

同じようなことでしょうから

やはり詩を読むのが一番ですし。

 

 

木原孝一は

秋谷豊がいちはやくそれに気づくまでもなく

エッセイ(散文)を盛んに発表していましたし

そのエッセイの中身は

日本の詩のたどるべき方向とか

現代詩の未来とかといった

大きなテーマに向かうエネルギーに満ちています。

 

詩作品も

散文詩、短詩、長詩、劇詩……と多岐にわたり

ときに実験的、先進的な試みにも挑んでいます。

 

その根元に戦争がありますから

繰り返し繰り返し

永遠に捉えきることのできないかもしれないこのテーマに

取り組んでいるかのようです。

 

書き切れないテーマに

運命的にぶつかって

終わりなき旅をつづけるかのようです。

 

 

これまで読んだのは

比較的に短い詩や散文詩で

詩人がすぐ近くにいるような呼吸のようなものがありました。

 

これらの詩の世界とは異なって

詩人の極限体験に基づく詩の山脈があって

そこには煮詰められた思索がぎっしり詰まっているのが

長詩や詩劇でしょう。

 

そういう意味でも

この冒頭詩をいっこくも早く読みたかったのですが

なかなかとっかかりがつかめませんでした。

 

散文詩集「星の肖像」の幾つかを読んで

「木原孝一詩集」の構成がわかりかけてきて

いま、ようやく、冒頭のこの詩の前に立っています。

 

 

冒頭詩がなぜ「音楽」なのだろうか。

 

はじめに立ちのぼってくるのは

この問いです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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