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2017年12月18日 (月)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「孤独者」

 

 

嵯峨信之の第1詩集「愛と死の数え唄」は

1957年4月に、詩学社から発行されました。

 

詩人、55歳の年でした。

 

 

孤独者

 

よく熟れた広い麦ばたけを

あらしがきて根こそぎ薙ぎ倒していつた

一瞬 ばらばらになつた金いろの麦よ

ある種のこの解放 そして私的な死

すでにおだやかな夕凪がひとびとを充たしはじめたときに

このレパートリイから一人たち去つていく者に路を開けよ

 

(現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」所収「愛と死の数え唄」より。)

 

 

この詩は

現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」の一番目に置かれた作品です。

 

「愛と死の数え唄」抄の一番目ですから

冒頭詩であるかどうかは確言できませんが

いずれにしても

かなり初期の作品であることでしょう。

 

よく見ると、促音便「つ」を小字にせず

歴史的表記が残っています。

 

 

自然災害だか人事に関わる事件だか

何か困難な経験に巻き込まれ

それが収まった時に

その場を離れて新生へと向かう

大きな経験を記録している詩でしょうか。

 

新しく生きようとする私に

道を開けてくれ! と訴える叫びが

静かな口調で歌われます。

 

実際にそれがどんな経験だったのか

明らかにされませんが

その出発の詩タイトルが孤独者であることには

特別な意味がありそうです。

 

 

自己「半年譜」大正7年(1918)16歳の項に、

 

孤独とアンニュイ。それは文学が目覚める領土とは言えないだろうか。

 

――とあるのに関係するでしょうか。

 

波乱の多い生涯の半分ほどを記した伝記の

始まりに近い部分に

詩人が記した「孤独」の1語と

この孤独者は通じていることでしょうか。

 

この前年来、

詩人は一時、満州に住みます。

 

10月に東京千葉を襲った東京湾台風の被害を受け

父親の経営する砂村の家禽家畜研究所の見通しが困難になったためで

安奉線橋頭というところの木炭の集積出張所へ住んだあと

大連の銃砲店日満商会へ移り住みますが

およそ1年して引き揚げることになります。

 

目まぐるしく変化する

青春真っただ中の生活環境――。

 

こうした環境が

詩人に孤独とアンニュイを強いたのですが

それを想像するのは困難なことではありません。

 

この詩「孤独者」が

16歳のこの経験に基づいていることを示す

何ものもありませんが。

 

 

現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」は

吉田加南子の編集で作られ

「愛と死の数え唄」

「魂の中の死」(1966)

「時刻表」(1984)

「開かれる日、閉ざされる日」(1980)

「土地の名~人間の名」(1986)

「OB抒情歌」(1988)

――の6詩集からの抄出詩篇で構成されています。

 

(※1995年に出した詩集「小詩無辺」を最後に、詩人は1997年12月に亡くなります。)

 

ほぼ制作順の配列と思われますが

目次に*を付して、( )内に冒頭行を記してあるのは

最新詩集「OB抒情歌」の意図を汲んだ吉田加南子の編集によります。

 

1988年発行の「OB抒情歌」は

未発表詩篇と先行詩集への既発表作品で構成されていますが

このうちの既発表作品はすべてがタイトルを外され(無題とされ)

さらにこの既発表作品は先行詩集への発表形と異なるものが多いという

この詩集の意図を生かして

詩人の現在(現代詩文庫発行時点である1989年)の意図としたものでしょう。

 

先行詩集にあった詩のタイトルは

巻末の編者注に列挙されています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

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