新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一の戦後「彼方」
現代詩文庫47「木原孝一詩集」所収の半自伝「世界非生界」は
木原孝一が米軍上陸直前の硫黄島から帰還するまでを記録しているだけですから
戦後の活動を年譜でたどることができません。
詩作品を読むしかないことを迫られるわけですが
集中の「Ⅰ~Ⅳ」についても
「星の肖像」
「木原孝一詩集」
「ある時ある場所」
――の中から構成したとあるだけです。
「星の肖像」は1954年
「木原孝一詩集」は1956年
「ある時ある場所」は1958年
――の発行ということくらいは押さえておかねばならない最低限でしょう。
現代詩文庫47「木原孝一詩集」は
「Ⅰ~Ⅳ」のほかに
「未刊詩篇から」
放送詩劇「記憶の街」
詩論「現代詩の主題」
――という構成で
発行の1972年あたりまでの作品歴のあらましをたどっています。
◇
彼方
あなたはどこからきたか?
盲いた石のなかから
まだ開かない薔薇の花びらのなかから
あなたはどこにいるのか?
死にゆくひとびとを映す鏡のまえに
うまれたる者を映す鏡のまえに
あなたはどこへいくのか?
鳥のはばたきも届きえぬところへ
海の魚も潜みえぬところへ
(現代詩文庫47「木原孝一詩集」より。)
◇
「Ⅱ」には
「彼方」というタイトルの詩が7作集められています。
これは2番目に配置された作品。
「Ⅱ」は
戦争そのものをモチーフとはしませんが
人間の生や死や不安や喜びや愛や……
戦争とは少し距離をおいたところで
思索した結果や
現在も思索しつつあるテーマの作品を集めています。
ここに配置された「彼方」は7作品ですが
ほかにも「彼方」という詩はあり
同一のこのテーマは書き続けられていることを
詩人自らが明かしています。
(「人間の詩学」第4章「詩をどう読むか詩をどう書くか」。)
◇
一つのテーマは
一度で表白されきることはなく
同一のタイトルの詩が
木原孝一の詩集の中に並ぶことが多いのはそのためです。
このアンソロジーのなかにも
「音楽」
「遠い国」
「声」
「蟻」
――などの例が見られますし
「星の肖像」が散文詩で連作され
自由詩に作られているのも同じことでしょう。
◇
人はどこに生れどこへ行くのかと
古来、詩人が問うてきた問いを
木原孝一も問い直します。
この「彼方」は
戦後復興の盛りであった東京の街を走る
国電(現JR)の車内風景を見たのがきっかけで作られました。
前夜、ゴーギャンの「ノアノア」を読み画集を眺めるなかで
「われわれはどこから来たのか。
われわれはどこにいるのか。
われわれはどこへ行くのか。」
――というタイトルに触れて
離島、硫黄島での経験が
タヒチのゴーギャンの思いと重なったことが
その翌日の国電の車内でよみがえりました。
硫黄島の兵士が
こうして日常のなかに現われますが
詩にそのことが明示されているものではありません。
しかし、戦地の経験が
いわれるまでもなく
どこかしらから伝わってくるから不思議です。
それは、彼方が
盲いた石
まだ開かない薔薇の花びら
――や
死にゆくひとびとを映す鏡
うまれたる者を映す鏡
――や
鳥のはばたきも届きえぬところ
海の魚も潜みえぬところ
――やの
生のやってくるところであり
また死のやってくるところであるような場所(時間)を
くっきりとつかまえているからでありましょう。
類例のなく珍しい、大胆な詩であるからでありましょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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