新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一「音楽」へ・続続続
「音楽1」は
いよいよ終局にさしかかります。
◇
わたしにはわかっていた
この船は沈むのだ と
海には国境がないが われわれには戦争があった
◇
この船というのは
わたしが乗り組んでいるこの船のことで
それがいずれ沈むことがわかっていたというのです。
いや、実際に乗り組んでいた船をイメージする必要もなく
この船は戦争というものの比喩です。
戦争に勝つ見込みのないことを
詩人は早い時期に自覚していたのでしょう。
海に国境はなくても
戦争は国と国との戦いですから
勝ちか負けしかなく
負けることがはっきりしていたことを
わたしは戦いのさなかに知っていました。
◇
櫂がなかったというのは
武器弾薬がなかったことをいうのでしょうし
舵がなかったというのは
よきリーダーがいなかったことをいうのでしょうか。
救命具を背負って浮いていた戦友たちは
広大な海のなかで
孤独な心を繋ぐのに必死でした。
この広大で底深くて巨大な海、太平洋に
一人浮んでいるという恐ろしく孤独であるとき
わたしははっきり聞きます。
◇
何を聞いたのだろう?
――という疑問はすぐさま
この詩(人)が渾身の魂を込めて刻み出した言葉と
格闘するしかないところへと導かれてゆきます。
◇
光りのなかの暗黒。
強烈な光を見てしまったときに
思わず目を瞑(つぶ)り
網膜上に暗黒が映し出されるといった自然現象を
この詩行は示しているでしょうか。
死のなかの時。
死のなかに生があるというような奇跡を
この言葉は示しているでしょうか。
あるいは、それに似たようなことを
言っているかもしれません。
暴風雨のなかの沈黙の音の流れ、というのは
光りのなかの暗黒、と
死のなかの時、と
同じようなもの、あるいは似たようなものと受け取ってよいはずですから
暴風雨のさなかにも
一瞬、沈黙が訪れることがあり
沈黙の音が、音のしない音が流れて
その沈黙の音を
詩(人)ははっきり聞いたのでした。
◇
いや、これではまだ
うまくつかまえ切れていないようですね。
こう言った方がいいかもしれません。
詩人が聞いたのは
暴風雨の音でないことは確かですから
沈黙の音の流れは
自然に存在する音ではないことに思い致したほうがよいでしょう。
それは詩人の想念のなかに
渦巻いていた音の流れです。
詩人はそれを音楽と名づけたのであり
それは想像するしかない音楽です。
光りのなかの暗黒、と
死のなかの時、と
暴風のなかの沈黙の音の流れ
――とは、それを想像するための有力なヒントになるものです。
ヒントであり
しかし答えでもあります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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