新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「声」
嵯峨信之の第1詩集「愛と死の数え唄」は1957年に発行されたものですから
55歳の発表ということですが
いったいそれぞれの詩が
いつごろに制作されたものであるのか
戦前なのか戦後なのか
見当をつけることが容易ではないので
内容から推測するしかないのには
ある種不安のようなものが残る時があります。
何らかの手がかりを
詩に見つけようとしますが
やすやすとは詩人の来歴や経験と結びつくものでもなく
時代の匂いさえわからないこともあり
それが逆に時を超えた詩に対座する習慣を身につけさせもします。
◇
そうであるとはいえ
詩集には自ずと流れる「時」が存在し
まれにドラマらしきものさえ見えてくることもあります。
そのドラマを想像する楽しみさえ
あるといえばあります。
◇
声
大凪の海で知りあつたのだから
ふたりは
どこの港からも遠い
櫂は
心のなかにしまつておいても
夜中になるとひとりでに水面をぴちやぴちやたたいている
ふたりは話し合うのに
はじめて自分の声をつかつた
生れたときのままの真裸の声を
やがてふたりは港にはいるだろう
あれほどの深い時をありふれた幸福にかえるために
ふたたびめぐり合うことのない自分を海の上に残して
(現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」所収「愛と死の数え唄」より。)
◇
大凪の海で知り合ったふたり――。
ここにドラマを読むことは
不自然ではないでしょう。
長い孤独の詩人に
変化が訪れたことを想像させるのは
ここに「ふたり」が現われるからです。
ふたりが
男と女であることを疑う余地はありません。
あれほどの深い時をありふれた幸福にかえるために
ふたたびめぐり合うことのない自分を海の上に残して
――という2行は
そのことを確信させるに足りるでしょう。
あれほどの深い時は
ありふれた幸福にかえるに値したものでした、
たとえその時をふたたび経験することがないことを知っていても。
◇
ふたりとはだれのこと? と問うことは必要でしょうか。
そう問い返しても
その相手を特定することなどできるものでもありませんし
答は出てくるものでもありませんし。
詩に
そのことが書かれていないのですから
そのことを追求する意味ははじめからありません。
詩集の流れが
ここに来てたどった変化だけを受け入れれば
この詩を読むことは可能なはずです。
◇
この詩「声」は
現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」では
「愛と死の数え唄」の10番目にありますから
これも初期作品であることでしょう。
孤独の色が濃い初期詩篇のなかに
その孤独をこじあけるような存在が現れます。
「孤独者」
「心性」
「ノアの方舟」
「別離」
「イヴ以前の女」
「時」
「夜」
「火」
「死」
――と続いてきた詩篇の中には
かすかな兆しかなかった幸福が
ここで突如現われるのです。
「ふたり」とともに。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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