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2017年12月 8日 (金)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一「音楽」へ・続

 

 

わたしは

それがどんなものだったか記憶していない

生まれて はじめてないた 涙のない声

 

 

「音楽1」をはじめの詩行から読んでいきましょう。

 

それとはなんでしょうか。

 

なにかを指示していますが

詩(人)にもどんなものだったか記憶されていないものと明らかにされて

この詩ははじまります。

 

記憶がないのに

記憶をたどり返そうとする詩のなかへ

いきなり投げ出されるのですが

実はいくらかの手がかりになる記憶があるようです。

 

記憶されていないとはいいながらも

それは

生まれて初めて泣いた

涙のない声へと遡っていきます。

 

それは

詩人の呱呱の声(誕生)の記憶らしい。

 

初めて泣いた

涙もない

声だけの記憶――。

 

 

ロンドンでは ひとりの詩人が

「荒地」のなかにしきりに神の降誕を求めていた

パリでは

アッシュの棒を愛した 嗄れ声の亡命者が

紫外線と 娼婦のなかに われわれの

「ユリシイズ」を熱烈に夢みた

 

わたしは乳房を吸う舌のさきで

そのひとたちの言葉を聞いたように思う

あるいは 夜明けの鳥のはばたきだったかもしれない

 

 

1922年(大正11年)生まれの詩人は

そのころ世界を騒がした歴史的事件を呼び出します。

 

記憶に残らないはずの

生年時の世界がどのようであったかを知れば

記憶が生じるかもしれないとでも考えたかのように。

 

そこで現われるロンドンの詩人は

「荒地」という詩を作ったT・S・エリオット。

「荒地」は

日本の「荒地」派詩人たちのバイブルのような詩です。

 

もう一人のパリの亡命者は

「ユリシイズ」という小説を著わしたジェームズ・ジョイス。

 

ジョイスは、アイルランド人ですが

海外生活が長かったので

亡命者と錯覚されたのか

意図したのか。

 

木原孝一が間違えて認識したか

詩作上の意図(技術)だかどうかわかりません。

 

アッシュの棒を愛した 嗄れ声の亡命者が

紫外線と 娼婦のなかに われわれの「ユリシイズ」を夢見た

――とあるのは

現代のオデュッセウス(ユリシ-ズはその英語読み)の冒険を指しています。

 

 

記憶の定かでない誕生のころをたどろうとして

エリオットとジョイスを引っ張り出したのは

単なるペダントリー(衒学)ではもちろんなく

「音楽」というこの詩が目指そうとしているテーマへの導入に不可欠な存在です。

 

きっと神とか愛とか死とか……の

メタフィジカルな(形而上)問いへ

向かおうとしている印(しるし)に違いありません。

 

 

わたしは乳房を吸う舌のさきで

そのひとたちの言葉を聞いたように思う

あるいは 夜明けの鳥のはばたきだったかもしれない

 

 

母親の乳に吸いつく子は

すでに形而上の世界に存在していました。

 

誕生直後の乳児に残る記憶であるかのように

エリオットやジョイスの言葉を聞いたというのは

成人して後のことであるはずですから

乳房を吸いながら聞いた(見た)のは

夜明けの鳥のはばたきだったかもしれない。

 

形而上も形而下も

一つながりのものでした。

 

これは混同ではなく

あいまいなものでもなく

記憶にない記憶の記憶というようなものです。

 

 

全行をまずはひと通り読み

もう一度じっくり意味を追いながら読みはじめると

3段階に分けられた字下げの構造が気になり出します。

 

この構造の意図はなんだろう?

 

字下げ段落(連)のそれぞれの語り手と詩(人)との位置関係は

どうなっているのだろう。

 

歴史は進んだのでしょうか。

 

少しは進んだのでしょう。

 

1923年の関東大震災の経験が語られますが

1歳になったかどうかの乳飲み子が見たのは

終末におののく母親であり

革命に恐怖する父親の姿でした。

 

 

わたしは

確かに人間の死を見たらしい。

 

それもはっきりとした記憶というより

海の底の神話世界かなにかを見るように

魚のはねる音のようにも聞こえました。

 

 

こうしていつしか

木原孝一が紡ぐ詩の世界に入っていますが

歴史は遅々として進みません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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