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2017年12月29日 (金)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之の「利根川」その1

 

ここ数日、「利根川」と格闘していることに

ハッと気づきます。

 

なぜ「「利根川」かを解こうとする問いが

頭のなかに巣食い

日中はさして深まらない(ように感じる)思考は

夜の睡眠のなかで活発になり

早朝、夢告としてパッと幾つかの答えが出てくるという状態。

 

ピンダロスも

ほどけてきたような感じがあります。

 

 

利根川

 

利根川はなかばまで芦がひろがつている

女のことを考えながら歩いた

オフフエリアはとうとう気が狂つたが

さてぼくたちはどちらだろう

一日一日色あせていくおもいを

そのはての茫茫とかすんでいる中流を一艘の舟が下つている

それをとどめようとしたのは間違いだつたかも知れない

とどめようとしたぼくたちが

その舟で遠く運ばれているのだろう

 

――人間は影が夢みる夢である

と言って

ピンダロスはその他のことは何も言っていない

あの勝者にかずかずの頌歌をささげたピンダロスが

アテナイの神殿をのぼる若者にひそかにその影を見ていたのだろう

 

利根川は佐原のあたりで川幅がひろがつている

十月も終りにちかくなると水の色が薄くひかつて

一日中芦の影がふるえている

ふるえながらなおも流れる水に縋ろうとする

 

きれぎれになつた倖せを 不倖せを

いまはどうつなぎ合せようがあろう

川しもへ遠ざかつた舟は罌粟粒ほどに小さくなつている

やがて空へ消えようと

心に消えようと

その上を利根川は流れつづけるだろう

 

(現代詩文庫98「嵯峨信之詩集」所収「愛と死の数え唄」より。)

 

 

利根川は朔太郎、元吉の生地・前橋を

直接に指すものではなく

遠く反響するものではあっても

ここでは下流域の、広い川です。

 

第3連に佐原とあり

そのあたりの芦の群生地を近景に

一艘の舟がゆっくりと海の方向へ下って行く遠景を配し

ぼくたちが

利根川の流れとともにあります。

 

流れとともにあるといっても

舟の中に乗る客ではなく

利根川を見晴るかす土手にいる位置ですが

そもそもこの詩が風景描写を意図しているものではないので

茫洋とした眼差しが捉える景色になります。

 

この眼差しは詩(人)の

明晰な意識に映し出されるもので

意識が茫洋としているものではありません。

 

 

この詩「利根川」は

*(わたしは水を通わせよう……)

*(女を愛するとは)

*(小さな時を)

*(とどまりたい 心の上に)

――とつづく詩のイントロダクション(導入)であり

包括的な役割を負っています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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