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2018年1月

2018年1月23日 (火)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その8

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

後半連に来て

またも熟読玩味(じゅくどくがんみ)を迫られるのは

 

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

――と

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

――という詩行です。

 

その日 その幹の隙(ひま)

――のその日は

詩の冒頭の

秋 風白き日

――を受けているものと読んでよさそうですから

時間は継続して流れていると想定して

幹々の間(隙)で逢い引きしたその日その時

睦みあった瞳は

姉らしい色を帯びていたと読むことができます。

 

きみという親称で呼ぶ相手は

恋人以外にはないはずですから

長谷川泰子のイメージが結ばれることはごく自然です。

 

 

ああ! 過ぎし日の

――というのは

その逢い引きが遠く過ぎ去った日のものであっても

確かに在ったその日のことだったのだ! という在りし日を歌います。

 

その日は単に過ぎ去った日であるよりも

確かに存在した日(在りし日)であった

 

在りし日に

仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

確かにあったのだ。

 

その日々を思い出すと

心はなぜこのように羞らうのだろう……

 

 

このようにして――。

 

第1連の

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――は第2連の

死児等の亡霊やアストラカンのあわい縫う古代の象の夢を導きます。

 

第3連の

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――は第4連の

過ぎし日の仄(ほの)燃えあざやぐおりおりを導きます。

 

 

「含羞(はじらい)」は

主旋律の一つに

二人の弟の死を

もう一つの主旋律に

永遠の恋人、長谷川泰子への愛を歌いました。

 

 

……とここまで書いて

秋 風白き日の山かげなりき

――と限定された場所で

長谷川泰子と詩人が逢い引きしたという想定はおかしいと考え直し

中也に「初恋集」中の「むつよ」という詩があるのを思い出しました。

 

 

むつよ

 

あなたは僕より年が一つ上で

あなたは何かと姉さんぶるのでしたが

実は僕のほうがしつかりしてると

僕は思つてゐたのでした

 

ほんに、思へば幼い恋でした

僕が十三で、あなたが十四だつた。

その後、あなたは、僕を去つたが

僕は何時まで、あなたを思つてゐた……

 

それから暫(しばら)くしてからのこと、

野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを

あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、

それと、暫く遊んでゐました

 

僕は背戸(せど)から、見てゐたのでした。

僕がどんなに泣き笑ひしたか、

野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて

それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。

         (一九三五・一・一一)

 

 

何かと姉さんぶる女性、むつよがまた謎の人物ですが

初恋のころを思い出して

含羞が立ちのぼってくる気持ちなら

よりすんなりと心に落ちて來ることですから

そう読み直すのもよいかもしれません。

 

 

今回でこの項を終わります。

 

2018年1月22日 (月)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その7

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

 

ところで

この第2連はいったいなんだろう。

 

死児等の亡霊や

アストラカンや

古代の象の夢という映像は

この詩に何をもたらしているのだろう。

 

「含羞(はじらい)」という詩のなかで

まったく無用の存在であるようなこのシーンが

こころのなかにずしんと落ち着くまで

しばらくは蔵に寝かせて醸造するような時間を必要とすることでしょう。

 

 

 

深い夢から覚めたか

迷子が元のまともな道に戻ったか

映画館から出て現実の街に帰ったかのように

つづく後半連へ入っていくとき

軽い軋(きし)みを感じますが

それは一瞬のことです。

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

――というルフランに導かれて

そうだ、わたしは現在、秋風白き山かげにいるのだと

納得することは容易です。

 

 

そこ(第3連)で出会うのは

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

――という2番目のルフランです。

 

このルフランは

第4連のはじまりに連続するルフランであることによって

1番目のルフランとの橋渡しとなり

第1連からずっと連続する時間が

自然に流れることになります。

 

ルフランが

第2連に現われた別世界を孤立させず

詩に断絶をもたらさないような役割を果たします。

 

第1連から第4連までが

一つの詩であることを

ルフランが保っています。

 

第3連に新しく登場するのは姉ときみという存在ですが

この姉やきみは

第1連の椎の枯葉の落窪の風景に

まっすぐにつながります。

 

 

「汚れっちまった悲しみに……」や

「一つのメルヘン」などで

中原中也はルフランの巧みを

これでもかこれでもかというばかりにフルに活用しましたが

この「含羞(はじらい)」でも

見事に駆使(くし)しきっています。

 

詩の流れ(構造)を自然に整える

まるで魔術のようです。

 

 

魔術はしかし

いつのまにか言葉そのものの中に入り込みますから

注意しなければなりません。

 

姉とはだれでしょう?

きみはだれでしょう?

 

 

次回に続きます。

2018年1月19日 (金)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その6

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

第1連末行の

幹々は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――のメタファー(擬人化)が示すのは

なんらかの人事に違いないのですが

それが何であるか伏したまま

それが詩人の心を羞じらわせたことだけが明きらかにされて

この詩は一気に幻視幻想の視界一色へと入ります。

 

幹々から枝々へ。

 

視線が移動した途端に

幻影であるかのような映像が出現します。

 

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

 

空に死児等の亡霊がいっぱいいる。

 

その亡霊たちがまばたきした。

 

あたかも光が明滅(明滅)するかのように

まばたいた丁度そのとき

向うの野のうえは

アストラカンの群れを縫う

古代の象の夢だった――。

 

 

この部分は

散文に置き換えようとすると無理が生じ

詩を破壊しますから

できるかぎり原文のままで読み続けなければならないことでしょう。

 

やむを得ず

こうして意味を追いますが

なぜ死児が現われるのか

なぜアストラカンが出てくるのか

古代の象の夢とはなんのことだろうか

死児等の亡霊とアストラカンはどのようにつながるのだろうかなどと

次々に疑問が湧いてきて

その問いを解こうとし続けることになります。

 

 

詩人はこの詩を書くまでに

多くの死に触れました。

 

死児といえば

長男文也の死がまっさきに思い浮かびますが

文也はこの詩を書いた時には生存中でした。

 

近くは4歳下の弟、恰三が

昭和6年(1931年)に20歳で亡くなっています。

 

古くは二男の亜郎が

大正4年(1915年)に、満4年2か月で死亡しています。

 

死児らの亡霊というのは

この二人の弟を指しているのでしょうか。

 

 

次に現われるアストラカンや

その間を縫う古代の象は

では何なのでしょうか。

 

死児等の亡霊と

どのようなつながりがあるでしょうか。

 

この問いを解きほぐすには

第1詩集「山羊の歌」の山羊にさかのぼる

命名の軌跡をたどるのに似た

アストラカンと詩人のつながりを探ることになるでしょう。

 

たとえばここで

ランボーの「太陽と肉体」(Soleil et Chair)という詩の

次のようなくだりを読んでおくことは

アストラカンに近づくためのヒントになるかも知れません。

 

 

若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。

獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、

愛の小枝の樹皮をば齧り、

金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。

地球の生気や河川の流れ、

樹々の血潮(ちしほ)が仄紅(ほのくれなゐ)に

牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)つた、かの頃を私は追惜します。

当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、

牧羊神が葦笛とれば、空のもと

愛の頌歌はほがらかに鳴渡つたものでした、

野に立つて彼は、その笛に答へる天地の

声々をきいてゐました。

黙(もだ)せる樹々も歌ふ小鳥に接唇(くちづけ)し、

大地は人に接唇し、海といふ海

生物といふ生物が神のごと、情けに篤いことでした。

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より。)

 

 

ここに出てくる

半人半山羊神(サチール)や山羊足などが

アストラカンと遠く反響しています。

 

 

次回に続きます。

 

2018年1月18日 (木)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その5

 

 

詩の謎を解こうとして

詩の背景や制作エピソードを漁(あさ)りだしては

詩から遠ざかるというジレンマになることはしばしばありますが

「含羞(はじらい)」を読むときにも

それは十分に留意したほうがよいことです。

 

詩を読む醍醐味(だいごみ)は

詩そのものにあり

詩の背景を探ることは主要な目的ではありませんから。

 

 

「含羞(はじらい)」はしかし

詩集「在りし日の歌」の冒頭詩であるという点で特別です。

 

多少は背景を知っておいて

越したことではありません。

 

 

第1に、

「含羞(はじらい)」のタイトルの副題に

「――在りし日の歌――」とあるのを

見過ごしてはならないことでしょう。

 

詩集のタイトルを「在りし日の歌」と決めたときに

「含羞(はじらい)」を詩集冒頭に配置することとともに

この副題を添えることも同時に決めたのでした。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ解題篇。)

 

「含羞(はじらい)」は

在りし日の歌として書かれたのでした。

 

「含羞(はじらい)」は

在りし日の歌その歌なのです。

 

そして、

在りし日はこのとき

過ぎ去りし日です。

 

その在りし日の歌が

なにゆえに こころかくは羞じらう

――と歌い出します。

 

 

秋 風白き日の山かげなりき

――とあるのは

詩人の生地、山口県湯田温泉のあたりを示すものでしょう。

 

東京や京都や横浜でないのは確実です。

 

この詩が

なんらかの経験を歌ったものであるなら

このような限定から出発したほうが

詩世界に親近することでしょう。

 

その山は

中国山地に連なる小さな山であり

詩人は在りし日(過ぎし日)に足を運んだのでありましょう。

 

このあたりまでは

詩に仮構の入り込む余地はありません。

 

秋の風が白みを帯びた日、

冬の間近なその山かげの

椎の枯葉のたまった落窪というあたりも

実際の経験の範囲の場所です。

 

 

詩が大きく動きはじめるのは

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――とあるところからです。

 

樹木の幹という幹が

ひどく大人びて立っているという擬人化の表現は

同時にこの詩が仮構へ旅立ったことを示します。

 

 

次回に続きます。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

2018年1月17日 (水)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その4

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

「在りし日の歌」と表紙にあり

本を開けると扉に「在りし日の歌」とあるのに続けて

「亡き児文也の霊に捧ぐ」とあり

次に第1章の章題「在りし日の歌」があって

この章の冒頭に「含羞(はじらい)」は置かれています。

 

「含羞(はじらい)」という詩題に

さらに「――在りし日の歌――」と付されて

この詩ははじまります。

 

その詩の冒頭行が

なにゆえに こころかくは羞じらう

――であり

最終行が

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

――で閉じるのがこの詩です。

 

 

羞らうの羞は

羞恥(しゅうち)の羞であり

恥辱(ちじょく)の恥でありますが

この詩は含羞(がんしゅう)をはじらいと読ませます。

(※原文は「はぢらひ」という歴史的かな遣いですが、現代かな遣いにすると「はじらい」で

す。)

 

恥と羞は

語源は異なっても

同義語とみなしてよいでしょう。

 

どうしてこんなに恥ずかしいのだろう

わたしの心はどうしてどうしてこんなに恥ずかしがるのだろう?

――といった現代語に置き換えてOKです。

 

あるアメリカ人は、 

Why does my heart feel so ashamed

Why does Why does my heart feel so ashamed?

――とこの部分をこのように訳しています。

 

(「Poems of Days Past  Nakahara Chuya」 Translations by Ry Beville、2005年)

 

 

なぜこの問いが発せられたのだろう

――という出発の地点にまた戻ってきました。

 

次回に続きます。

 

2018年1月16日 (火)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その3

 

 

死んだ児のイメージが中原中也の詩に現れるのは度々ですが

この詩「含羞」では

死児らがまばたきしたその時に

彼方の野の上に

アストラカンのあいまを縫って歩く(飛ぶ?)古代の象が現われるのです。

 

古代の象の夢なりき

――とあるのですから

強い断定の表現です。

 

ということは

はるか彼方ではありますが目前に

アストラカンと象が動いている映像が

くっきりと見えていることになります。

 

 

空のスクリーンに生きもののイメージを見るのは

「サーカス」

「凄じき黄昏」

「秋の夜空」

「宿酔」

――などと「山羊の歌」にある詩群をすぐさま思い出すことができ

中也の幻視力・幻想力の卓越ぶりを示しますが

ここは死んだ児です。

 

そうざらにはないと思いきや

「新編中原中也全集」には

死児のイメージが現われる例を

幾つか挙げています。

 

「無題(疲れた魂の上に)」(未発表詩篇)

「秋の日曜」(同)

「月の光 その一」(在りし日の歌)

「月の光 その二」(同)

――ですが

「含羞」もこの中に入ります。

 

 

アストラカンのあわい縫うというのは

アストラカンの群れの間を縫ってという意味で

その群れの間を1頭の象が悠然と(?)のし歩いている光景のようですが

これは古生代の恐竜が生息していた時代の景色を想定してもいいけれども

やはり有史の神話時代の1コマではないでしょうか。

 

ランボーの初期作品には

ギリシア神話をモチーフにした詩が多くあり

古代の象が現れます。

 

ランボーの翻訳に取り組む中で

中也は挿絵入りのギリシア神話をどこかで読んだか

なにがしかのイメージ入りの資料を目にしたかしたはずで

その映像が

彼方の野の上に実際見えたことを

「含羞」で歌ったのではないでしょうか。

 

雲の形が

アストラカンと象の姿に見えたという説もあるようですが

死児らのまばたきが

木々の交差するあたりの空に見えたのが

光の明滅(みんめつ)であったにせよ

こちらははっきりとした映像だったように思えてなりません。

 

 

秋の日のとある山影の

椎の枯葉の落窪に

幹々がおとなびて立っている。

 

幹々へ向けられた視線は

梢の枝々の組みかわすあたりの空へ誘導され

そこに死児らの亡霊が満ちている

 

光が明滅(=死児らがまばたき)するとき

アストラカンと象の絵が見えます――。

 

 

しかし詩人は今

椎の枯葉の落窪にいます。

 

なにゆえに

このように

こころが羞じらうのだろうかと

自らに問い詰める現在にいます。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

次回に続きます。

2018年1月14日 (日)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その2

 

 

詩は

その構造も細部も

どちらも欠けていることは許されませんから

構造が把握できても

細部がわからないというのは

味のない食べ物みたいなものです。

 

だからといって

ここで万事休すということではありません。

 

このような場合にこそ

なんとかして詩を読もうとしないと

詩は遠ざかるばかりです。

 

構造が理解できたことは

詩の半分ほどを理解できたことに等しいはずなのですから

もう一息であるところに立っています。

 

 

風の白くなったある秋の山かげ――。

 

そこで何があったか。

 

椎の枯葉が積もる落窪に

樹々の幹が

大人びて立っていた。

 

樹の幹が大人びているというときの幹は

人間、おそらくは女性を見立てたものでしょう。

 

大人びた女性が

幹々に譬(たと)えられたのです。

 

 

かつての女性は

もっと幼かったという含意がここにありますが

それを見た詩人のこころに

含羞が立ちのぼるところにドラマが潜んでいます。

 

なにがあったのだろう。

 

第2連へ入ると

枝々(えだえだ)へ視線はみちびかれます。

 

幹々は樹木の胴体である部分ですが

枝々は末端にあたる部分で

おのずと空を見上げる格好になります。

 

枝が交差したその空に

悲しげな死児らの亡霊がいっぱいいて

まばたいていたというのです。

 

中也作品に時として現われる

この死児の亡霊は

フランス詩、とりわけアルチュール・ランボーの詩の反映らしい。

 

 

死児が現れまばたきした丁度その時

空の向うの野の上は

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

――ということ(状態)になっています。

 

ここが最大の謎であるかも知れません。

 

言葉遣いからいっても

夢なりきという述部は

アストラカンと象のイメージが広く知られた物語であるように扱われながら

同時にその夢であると歌っているようで

もう一つすっきりしません。

 

アストラカンの間をぬって象がのし歩いている

――というイメージは

いったい何を語っているのでしょう。

 

死児が宙を彷徨(さまよ)っている映像のつながりに

このアストラカンと象のイメージが現れるのですが

このイメージははるか彼方に実際に見えるのか

それとも夢なのか

これらこの第2連のイメージは

第1連の椎の落窪あたりで起きている幹々のドラマに

どのようにつながっているのかを

見失いそうになります。

 

 

詩はますます混沌としてゆきますが

詩はますます深みを増してゆきます。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍点

は“ ”で表示しました。)

 


次回に続きます。

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その1

 

 

この詩「含羞(はじらい)」は

「在りし日の歌」の冒頭詩です。

 

冒頭に配置されたこと自体が

最大の謎ですが

詩内容も大きな謎に満ちています。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍点

は“ ”で表示しました。)

 

 

まずは第1行、

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

――という、この自問が

なぜ今(=この詩の作られた現在)発せられたのか。

 

最終行でルフランされるに至っても

わかったように通り過ぎて

この詩を読み終えてしまうというのが

ほとんどの場合ではないでしょうか。

 

この疑問に答えるのは

容易なことではありません。

 

 

第2連、

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

――の意味や

 

第3、4連、

姉らしき色 きみはありにし

――の姉はだれのことかなども謎です。

 

いずれも

容易には答えられません。

 

 

この詩が

過去のある特定のシーンを歌っていることは明らかです。

 

そのシーンを回顧する「わが心」を

なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

――と自問する現在。

 

その答えを見つけようとしてそれを歌っているのに

答えは複雑な暗喩(メタファー)が入り交じって展開されるために

解を絞り込んでゆくのが容易ではありません。

 

詩の構造を捉えることができるのですから

細部を味わっていけばよいということなのに

ここで立ち往生してしまいます。

 

 

次回に続きます。

2018年1月13日 (土)

年末年始に読む中原中也/早春の風

 

 

大寒波が関東地方にもやってきましたが

このころになると

これが頂点なのだから

春の訪れも間近なことを感じるようになりますね。

 

もちろんまだ一度や二度や

大雪の降ることはあるのでしょうが

蝋梅(ろうばい)が咲きこぼれ

紅梅の香が住宅地のどこからともなく洩れ匂うのに出くわしては

胸のふくらむ心地を止(とど)めることはできません。

 


早春の風

 

  きょう一日(ひとひ)また金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  女王の冠さながらに

 卓(たく)の前には腰を掛け

かびろき窓にむかいます

 

  外(そと)吹く風は金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  枯草(かれくさ)の音のかなしくて

 煙は空に身をすさび

日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ

 

  鳶色(とびいろ)の土かおるれば

 物干竿(ものほしざお)は空に往(ゆ)き

登る坂道なごめども

 

  青き女(おみな)の顎(あぎと)かと

 岡に梢(こずえ)のとげとげし

今日一日また金の風……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

第2連に、

女王の冠

かびろき窓

――とあり

 

最終連に、

青き女(おみな)の顎(あぎと)

――とあるなど

この詩にも謎のような詩語が見られますが

実生活のなかに類例を探そうとすると

混乱を招くかもしれません。

 

すんなりと詩世界に入り込んでしまうほうが

勝ちです。

 

 

すでに「春の夜」(山羊の歌)には

かびろき胸のピアノ鳴り

――の詩行がありましたから

この流れに沿う女性を思い浮かべることも可能でしょうし

 

青き女は

「青い瞳」(在りし日の歌)や

「六月の雨」に現われる女性のような存在を思い出すことも可能でしょう。

 

あるいは

「含羞(はじらい)」に

幹々は いやにおとなび彳(た)ちいたり

姉らしき色 きみはありにし

――とある姉の流れの女性を想起してもおかしくないかもしれません。

 

この女性がだれであるかと

実人生に探そうとする努力を否定するものではありませんが

詩の中の存在は詩の中でそれだけでも生きていますから

その正体が特定できなくても

十分に味わうことができるのですから

無駄な抵抗はやめれば

詩のなかに入っていけるというものです。

 

 

それにしても

青き女とはよくぞ言ったものですね。

 

金の風

銀の風

鳶色(とびいろ)の土

――とならべて

青き女です。

 

ますます謎が深まるではありませんか!

2018年1月12日 (金)

年末年始に読む中原中也/雲雀


菜の花畑に囲まれたあぜ道に
長い間詩人はたたずんでいたのでしょう。

そこには
詩心をそそのかすに足りるモチーフが
次から次に現われました。

おのずと
雲雀の声が捉えられます。



雲 雀

ひねもす空で鳴りますは
ああ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼(な)きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

碧(あーお)い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーおい あーおい空の下

眠っているのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠っているのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠っているのは赤ん坊だ?

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)



「春と赤ン坊」の自転車は
絶妙な脇役(補助線)でしたが
この詩には王者、雲雀(ひばり)が登場します。

「春と赤ン坊」の流れで読むと
そうなのですが
「雲雀」はタイトルにも取られた通り
主題(テーマ)です。

ということは
雲雀を歌っているうちに
菜の花畑に眠る赤ン坊のシーンにたどり着いたということになります。



そう単純なことではないようなので
断言は避けますが
一つだけ言っておきたいのは
この詩の最終行、
眠っているのは赤ん坊だ?
――の「?」のことです。

「だ」という断定の助動詞の次に
「?」を付加した詩人の意図はどこにあるのでしょう。

謎解きのカギの一つはここにありそうです。

2018年1月11日 (木)

年末年始に読む中原中也/春と赤ン坊

 

 

いま目の前に

小学校の生徒たちがいれば

みんなで声を合わせて

朗誦してもらいたい。

 

中学生でも

高校生でも

大学生でもよい

 

おばさんたちでも

おじいさんたちでも。

 

 

春と赤ン坊

 

菜の花畑で眠っているのは……

菜の花畑で吹かれているのは……

赤ン坊ではないでしょうか?

 

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です

ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です

菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど

 

走ってゆくのは、自転車々々々

向(むこ)うの道を、走ってゆくのは

薄桃色(うすももいろ)の、風を切って……

 

薄桃色の、風を切って

走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)

――赤ン坊を畑に置いて

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

だれか一人が口ずさみはじめると

自分も唱和したくなる

この不思議な詩行の連続――。

 

呆気(あっけ)に取られているまもなく

仰天の世界へ身体ごと運ばれていきます。

 

いちめんの菜の花畑には

生れたばかりの赤ん坊が眠っているという幻想は

とんでもなく非現実的のようで

否定しようになくありそうな風景で

ずっとそのままそこにそうしていてほしい

幸福を絵に描いたような空間のようですけれど

詩(人)は

その上の空に鳴っている電線の唸り声を聞かざるを得ないのです。

 

幸福すぎてはかない風景の

永遠を願うかのように

この風景を強固にしたくなったのでしょう、

きっと。

 

幸福と幸福すぎることの不安と。





すると、

ここに自転車が

薄桃色にかすむ空の

風を切って走ってゆくと

菜の花畑も空の白雲も

いっしょくたになって

走っていってしまいます。

2018年1月10日 (水)

年末年始に読む中原中也/冷たい夜

 

 

なぜ人は悲しむのでしょうか。

 

埒(らち)のあかない問いを問い始めるときに

中也のこの詩は

不思議にやすらぎを与えてくれます。

 

 

冷たい夜

 

冬の夜に

私の心が悲しんでいる

悲しんでいる、わけもなく……

心は錆(さ)びて、紫色をしている。

 

丈夫な扉の向うに、

古い日は放心している。

丘の上では

棉(わた)の実が罅裂(はじ)ける。

 

此処(ここ)では薪(たきぎ)が燻(くすぶ)っている、

その煙は、自分自らを

知ってでもいるようにのぼる。

 

誘われるでもなく

覓(もと)めるでもなく、

私の心が燻る……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩で燻るというのは

なにか悲しみの向うへ行く糸口のような――。

 

心は錆(さ)びて、紫色をしている。

――という状態が

悲しみの状態そのものであるとすれば

そことは違う心の状態への足がかりであるような――。

 

綿の実がはじける

うららかな暖(あたた)かな時間へ

こころが向かう兆(きざ)しのようです。

 

悲しみの底に底はなく

いつしか

誘われるでもなく

覓(もと)めるでもなく

燻りはじめる……。

 

 

悲しみの時間は

無限のものではないよ

思いっきり悲しめばいいよ

――とでも言っているかのように読めることがあります。

2018年1月 8日 (月)

年末年始に読む中原中也/朝の歌

 

 

いつ読んでも

同じような感慨に導かれる詩というものがあり

この詩は中也の詩のなかでも

それを安定と呼ぶならば

もっとも安定感のある詩といえるでしょうか。

 

数次にわたる推敲の経歴をもつ詩であり

自作年譜「詩的履歴書」に、

「朝の歌」にてほぼ方針立つ。

――と自ら記した

記念碑的作品です。

 

 

朝の歌

 

天井に 朱(あか)きいろいで

  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、

鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い

  手にてなす なにごともなし。

 

小鳥らの うたはきこえず

  空は今日 はなだ色らし、

倦(う)んじてし 人のこころを

  諫(いさ)めする なにものもなし。

 

樹脂の香(か)に 朝は悩まし

  うしないし さまざまのゆめ、

森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

 

ひろごりて たいらかの空、

  土手づたい きえてゆくかな

うつくしき さまざまの夢。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

記念碑的作品ですから

その制作エピソードは多彩ですし

興味深い事跡に充ちていますし

それゆえ詩の外部に関心は引っ張られがちな詩でもあります。

 

たまには肩の力を抜いて

詩そのものを味わいたいものですが

青春彷徨の真っただ中のある日の

語らいくたびれ飲み疲れたからだを

誰だか友だちの部屋へ運びこんだ暗がりが明けた朝の

雨戸を洩れ入る陽光の赤々と燃えるのを見あげる寝床の感触が

いまもここに残っているような思い出は鮮烈で

この詩がそれを歌っているのは

他人ごとではなく親しいものでありますから

この詩のエピソードはまた懐かしいことです。

 

 

手にてなす なにごともなし……。

 

時は

そこに止まっているかのようです。

 

止まったまま

戻って来ません。

年末年始に読む中原中也/冬の明け方

 

 

朝の6時なのに眠いというのは

いかにも中也らしい本音ですね。

 

深夜に詩を書いたり

書物を読んだりしているわけですから。

 

そこのところを押さえておかないと

頭も眠いというのを理解できません。

 

 

冬の明け方

 

残(のこ)んの雪が瓦(かわら)に少なく固く

枯木の小枝が鹿のように睡(ねむ)い、

冬の朝の六時

私の頭も睡い。

 

烏(からす)が啼(な)いて通る――

庭の地面も鹿のように睡い。

――林が逃げた農家が逃げた、

空は悲しい衰弱。

     私の心は悲しい……

 

やがて薄日(うすび)が射し

青空が開(あ)く。

上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。

――四方(よも)の山が沈み、

 

農家の庭が欠伸(あくび)をし、

道は空へと挨拶する。

     私の心は悲しい……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

烏(からす)が啼(な)いて通る――

庭の地面も鹿のように睡い。

 

――というあたりは

眠いことが想像できれば

ついていけますね。

 

 

やがて薄日(うすび)が射し

青空が開(あ)く。

上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。

 

――というあたりも

朝がおとずれて

空に青が広がり

お天道様(おてんとうさま)が世界を支配しはじめるころの

無敵の神々しさをバッチリとらえた

見事な表現です。

 

ズドンパチパチという音が

本当に聞こえてくるかのようなお出まし!

 

今ごろの太陽の現れ方を

早朝に起床する人ならば

拍手喝采したくなりますよ。

 

朝の6時なら

木星と火星が大接近したのを中也も見たかもしれません。

 

 

ところが

この詩が歌うのは

人の知らない悲しみです。

 

今日のところは

その謎解きはやめておきます。

2018年1月 7日 (日)

年末年始に読む中原中也/むなしさ

 

 

正月に是非とも読んでおきたいと

長年思い続けて果たさなかったのがこの詩です。

 

難しいからなどという理由が

どこかにあったかもしれません。

 

はじめは歯が立たない感じでしたが

10年ほども頭の中にインプットしていると

それなりにほどけてくるものがあります。

 

そんな詩と幾つか出合いましたし

詩はたいがいそのようなものでもあります。

 

はじめはまったくチンプンカンプンなのに

何度も読み返していると馴染んでくるものです。

 

 

むなしさ

 

臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて

 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み

脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ

 よすがなき われは戯女(たわれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて

 この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり

遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る

 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

 

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)

 凍(い)てつきて 心もあらず

 

明けき日の 乙女の集(つど)い

 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも

 胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩を読むポイントを

今回は一つだけ述べておきたいと思います。

 

それは第4連にあります。

 

明けき日の 乙女の集(つど)い

それらみな ふるのわが友

 

この第4連に

この詩の命はあります。

 

 

詩人は第1連で

よすがなきわれは戯女(たわれめ)

――と歌い

自らを戯女(たわれめ)と同一化します。

 

自身が戯女になっているのです。

 

 

この女性たちが第4連で

明けき日の集い(新年会)に参じるのですが

そこにいる女性たちのことを古い友達と呼んでいます。

 

われはたわれめであると宣言した上に

ここでは古くからの友達であることを確認しているのです。

 

 

この詩は

ここのところを押さえれば

あとは横浜という街の情景が歌われるだけです。

 

 

臘祭(ろうさい)の夜の巷

明けき日の乙女の集(つど)い

――で大晦日から元旦という時。

 

海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

――で海岸沿いという場所。

 

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)

胡弓(こきゅう)の音(ね)

――で中華街の映像と音。

 

年末年始の横浜の風景が

鷲づかみに捉えられています。

 

 

この詩を読むのには

どうしても以上のような言葉の意味を理解することが先決になり

それに労力を費やすことになりますから

詩から尻込みすることになり

詩から遠ざかりはじめてしまいがちです。

 

 

これらの言葉遣いが馴染めない時期は

だれにでもあることですから

それはとりあえずはほっといていいのです。

 

言葉遣いにたじろぐことはありません。

 

やがて大胆な表現であることに気づくことになり

圧倒されることになりますし

朗誦するほどの味わいが出てくるはずです。

 

2018年1月 5日 (金)

年末年始に読む中原中也/お会式の夜

 

 

西行や芭蕉が

健脚だったことは有名ですね。

 

中也も結構歩いています。

 

大正12年より昭和8年10月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、

それより夜の12時頃迄歩くなり。

――と「詩的履歴書」に記したのは伊達(だて)じゃありませんでした。

 

 

お会式の夜

 

十月の十二日、池上の本門寺、

東京はその夜、電車の終夜運転、

来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、

太鼓の音の、絶えないその夜を。

 

来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。

吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。

遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、

頭上に、月は、あらわれている。

 

その時だ 僕がなんということはなく

落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは

まとめてみようというのではなく、

吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。

 

   思えば僕も年をとった。

   辛いことであった。

   それだけのことであった。

   ――夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。

 

十月の十二日、池上の本門寺、

東京はその夜、電車の終夜運転、

来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、

太鼓の音の、絶えないその夜。

 

    (一九三二・一〇・一五)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

 

池上本門寺の太鼓は

夜通し打ち鳴らされるはずですから

その音の消えるまで

詩人は近辺を散策して回ったのでしょう。

 

時には見知らぬ大道の香具師(やし)と

口をきいたりしたかも。

 

 

歩きとおす

――のと

自分を思んみる

――のとの二つは

詩を生むための前哨戦みたいなものでした。

 

詩はどこにあるのだろうと

困っている人があるならば

この詩はなんらかのヒントになるかもしれません。

 

2018年1月 4日 (木)

年末年始に読む中原中也/雪の賦

 

 

よくもまあ晴天が続くこととうれしいのですが

北日本には爆弾低気圧が居座って

連日の猛吹雪ということで

喜んでばかりもいられません。

 

家康公よ

よくぞ東京に居城を置いてくれたものですと

ふだん思いもしないことを思ってみるのですが

東京にも雪は降ります。

 

2・26事件が起きた昭和11年(1936年)2月26日は

少し前に降った大雪の雪が残り

その上に再び降ったということです。

 

 

雪の賦

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁(ゆうしゅう)にみちたものに、思えるのであった。

 

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おおたかげんご)の頃にも降った……

 

幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあったのだ。

 

ロシアの田舎の別荘の、

矢来(やらい)の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程永遠で、

 

雪の降る日は高貴の夫人も、

ちっとは愚痴(ぐち)でもあろうと思われ……

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思えるのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩は

昭和11年4月10日発行の「四季」に発表されていますから

2・26事件のイメージがかぶさるのはごく自然のなりゆきです。

その上、雪の風景ということで

赤穂浪士の討ち入りを詩人はオーバーラップさせたのでしょうし

なかでも浪士の一人、大高源吾には特別のシンパシーを抱いていたのでしょうけれど

見落としてならないのは

つづいて登場する

孤児と高貴の夫人です。

 

高貴の夫人には

かつての恋人、泰子の面影がありますが

ここに現われる孤児を

とりわけ見過ごしてはなりません。

 

 

この詩に

孤児が現われなかったならば

この詩の深みは一気に吹き飛んでしまいます。

 

2018年1月 3日 (水)

年末年始に読む中原中也/いちじくの葉

 

 

この詩も

春の詩ではありません。

 

 

いちじくの葉

 

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

 

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、

 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

 

美しい、

前歯一本欠け落ちた

おみな

 

姿勢よく

ゆうべの空に、

立ちつくす

 

 

第1連の言葉の

この不思議な力(ちから)は何でしょうか。

 

 

くどくどとああでもないこうでもないと

過去の思い出のこんぐらがってるのに

身も心もまかせている自分というのが

きっとだれにでもあって

いつしか頭さえ重くなってもなお

ごちゃごちゃと考えあぐねている……。

 

この詩は

そういうがんじがらめの心の状態を断ち切って

なんにも言わないことにして

首のあたりを風にさらして

いちじくのこんもりと繁る梢を見あげては

何ものか見知らぬ存在に

愛情をそそごうとする詩人の意志を表明します。



過去にとらわれているよりも

明日(あす)を見ようとします。

 

 

そのきっかけになった

夕方のいちじくの葉群れ。

 

 

詩人はここでも

自らを勇気づけ

詩を読む若者を元気づけます。



若者ばかりではなく

齢(よわい)を重ねた人々をも

勇気づけます。

2018年1月 2日 (火)

年末年始に読む中原中也/港市の秋

 

 

紺青の空は秋の空が一番というのは

観念反応というかパタン認識というか

新年の青天白日も見事なものですね。

 

こちらの詩は秋天、それも朝陽を歌います。

 

 

港市の秋

 

石崖(いしがけ)に、朝陽が射して

秋空は美しいかぎり。

むこうに見える港は、

蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

 

町では人々煙管(キセル)の掃除(そうじ)。

甍(いらか)は伸びをし

空は割れる。

役人の休み日――どてら姿だ。

 

『今度生(うま)れたら……』

海員(かいいん)が唄(うた)う。

『ぎーこたん、ばったりしょ……』

狸婆々(たぬきばば)がうたう。

 

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、

  大人しい発狂。

  私はその日人生に、

  椅子(いす)を失くした。

 

(「編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

上京してまもなく

詩人は恋人泰子を失います。

 

ひとりぼっちがつづくある秋の日

横浜の埠頭を散策する詩人。

 

朝早くから港の町を

ふらふらと歩みくたびれて

石段にしゃがみこんで遥かな海を眺めます。

 

いましがた出合った港市の

なんと穏やか過ぎる光景ばかりであったこと。

 

ふと、自分に入り込めない景色であることに

気づいてしまいます。

2018年1月 1日 (月)

年末年始に読む中原中也/春

新年の朝一番

トイレの窓から外を見ると

白い光に満ちた空です。

 

これが2018年1月1日の空だ。

 

眠りからまだ覚めていなくて

常とは違う神妙さがあるのは

なんだかおかしいですけれど

晴れてうれしい新年の朝です。

 

 

 

春は土と草とに新しい汗をかかせる。

その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。

瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、

長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。

 

ああ、しずかだしずかだ。

めぐり来た、これが今年の私の春だ。

むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、

厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう

――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?

薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに

一つの鈴をころばしている、

一つの鈴を、ころばして見ている。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩の実際の季節は

新年ではありません。

 

雲雀の鳴く春ですが

自らに贈る気持ちを込めて

読んでおこうと

毎年毎年、浮んでくる頌歌です。

 

たまには

自分への贈り物も悪くはないでしょう。

 

中也も自身に贈った歌かも知れませんよ。

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