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2018年1月17日 (水)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その4

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

「在りし日の歌」と表紙にあり

本を開けると扉に「在りし日の歌」とあるのに続けて

「亡き児文也の霊に捧ぐ」とあり

次に第1章の章題「在りし日の歌」があって

この章の冒頭に「含羞(はじらい)」は置かれています。

 

「含羞(はじらい)」という詩題に

さらに「――在りし日の歌――」と付されて

この詩ははじまります。

 

その詩の冒頭行が

なにゆえに こころかくは羞じらう

――であり

最終行が

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

――で閉じるのがこの詩です。

 

 

羞らうの羞は

羞恥(しゅうち)の羞であり

恥辱(ちじょく)の恥でありますが

この詩は含羞(がんしゅう)をはじらいと読ませます。

(※原文は「はぢらひ」という歴史的かな遣いですが、現代かな遣いにすると「はじらい」で

す。)

 

恥と羞は

語源は異なっても

同義語とみなしてよいでしょう。

 

どうしてこんなに恥ずかしいのだろう

わたしの心はどうしてどうしてこんなに恥ずかしがるのだろう?

――といった現代語に置き換えてOKです。

 

あるアメリカ人は、 

Why does my heart feel so ashamed

Why does Why does my heart feel so ashamed?

――とこの部分をこのように訳しています。

 

(「Poems of Days Past  Nakahara Chuya」 Translations by Ry Beville、2005年)

 

 

なぜこの問いが発せられたのだろう

――という出発の地点にまた戻ってきました。

 

次回に続きます。

 

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