年末年始に読む中原中也/むなしさ
正月に是非とも読んでおきたいと
長年思い続けて果たさなかったのがこの詩です。
難しいからなどという理由が
どこかにあったかもしれません。
はじめは歯が立たない感じでしたが
10年ほども頭の中にインプットしていると
それなりにほどけてくるものがあります。
そんな詩と幾つか出合いましたし
詩はたいがいそのようなものでもあります。
はじめはまったくチンプンカンプンなのに
何度も読み返していると馴染んでくるものです。
◇
むなしさ
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
よすがなき われは戯女(たわれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
◇
この詩を読むポイントを
今回は一つだけ述べておきたいと思います。
それは第4連にあります。
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
この第4連に
この詩の命はあります。
◇
詩人は第1連で
よすがなきわれは戯女(たわれめ)
――と歌い
自らを戯女(たわれめ)と同一化します。
自身が戯女になっているのです。
◇
この女性たちが第4連で
明けき日の集い(新年会)に参じるのですが
そこにいる女性たちのことを古い友達と呼んでいます。
われはたわれめであると宣言した上に
ここでは古くからの友達であることを確認しているのです。
◇
この詩は
ここのところを押さえれば
あとは横浜という街の情景が歌われるだけです。
◇
臘祭(ろうさい)の夜の巷
明けき日の乙女の集(つど)い
――で大晦日から元旦という時。
海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)
――で海岸沿いという場所。
偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)
胡弓(こきゅう)の音(ね)
――で中華街の映像と音。
年末年始の横浜の風景が
鷲づかみに捉えられています。
◇
この詩を読むのには
どうしても以上のような言葉の意味を理解することが先決になり
それに労力を費やすことになりますから
詩から尻込みすることになり
詩から遠ざかりはじめてしまいがちです。
これらの言葉遣いが馴染めない時期は
だれにでもあることですから
それはとりあえずはほっといていいのです。
言葉遣いにたじろぐことはありません。
やがて大胆な表現であることに気づくことになり
圧倒されることになりますし
朗誦するほどの味わいが出てくるはずです。
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