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2018年1月22日 (月)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その7

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

 

ところで

この第2連はいったいなんだろう。

 

死児等の亡霊や

アストラカンや

古代の象の夢という映像は

この詩に何をもたらしているのだろう。

 

「含羞(はじらい)」という詩のなかで

まったく無用の存在であるようなこのシーンが

こころのなかにずしんと落ち着くまで

しばらくは蔵に寝かせて醸造するような時間を必要とすることでしょう。

 

 

 

深い夢から覚めたか

迷子が元のまともな道に戻ったか

映画館から出て現実の街に帰ったかのように

つづく後半連へ入っていくとき

軽い軋(きし)みを感じますが

それは一瞬のことです。

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

――というルフランに導かれて

そうだ、わたしは現在、秋風白き山かげにいるのだと

納得することは容易です。

 

 

そこ(第3連)で出会うのは

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

――という2番目のルフランです。

 

このルフランは

第4連のはじまりに連続するルフランであることによって

1番目のルフランとの橋渡しとなり

第1連からずっと連続する時間が

自然に流れることになります。

 

ルフランが

第2連に現われた別世界を孤立させず

詩に断絶をもたらさないような役割を果たします。

 

第1連から第4連までが

一つの詩であることを

ルフランが保っています。

 

第3連に新しく登場するのは姉ときみという存在ですが

この姉やきみは

第1連の椎の枯葉の落窪の風景に

まっすぐにつながります。

 

 

「汚れっちまった悲しみに……」や

「一つのメルヘン」などで

中原中也はルフランの巧みを

これでもかこれでもかというばかりにフルに活用しましたが

この「含羞(はじらい)」でも

見事に駆使(くし)しきっています。

 

詩の流れ(構造)を自然に整える

まるで魔術のようです。

 

 

魔術はしかし

いつのまにか言葉そのものの中に入り込みますから

注意しなければなりません。

 

姉とはだれでしょう?

きみはだれでしょう?

 

 

次回に続きます。

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