年末年始に読む中原中也/お会式の夜
西行や芭蕉が
健脚だったことは有名ですね。
中也も結構歩いています。
大正12年より昭和8年10月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、
それより夜の12時頃迄歩くなり。
――と「詩的履歴書」に記したのは伊達(だて)じゃありませんでした。
◇
お会式の夜
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。
吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。
遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、
頭上に、月は、あらわれている。
その時だ 僕がなんということはなく
落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは
まとめてみようというのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。
思えば僕も年をとった。
辛いことであった。
それだけのことであった。
――夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜。
(一九三二・一〇・一五)
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
◇
池上本門寺の太鼓は
夜通し打ち鳴らされるはずですから
その音の消えるまで
詩人は近辺を散策して回ったのでしょう。
時には見知らぬ大道の香具師(やし)と
口をきいたりしたかも。
◇
歩きとおす
――のと
自分を思んみる
――のとの二つは
詩を生むための前哨戦みたいなものでした。
詩はどこにあるのだろうと
困っている人があるならば
この詩はなんらかのヒントになるかもしれません。
« 年末年始に読む中原中也/雪の賦 | トップページ | 年末年始に読む中原中也/むなしさ »
「0169折りにふれて読む名作・選」カテゴリの記事
- 年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その8(2018.01.23)
- 年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その7(2018.01.22)
- 年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その6(2018.01.19)
- 年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その5(2018.01.18)
- 年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その4(2018.01.17)
コメント