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2018年1月 5日 (金)

年末年始に読む中原中也/お会式の夜

 

 

西行や芭蕉が

健脚だったことは有名ですね。

 

中也も結構歩いています。

 

大正12年より昭和8年10月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、

それより夜の12時頃迄歩くなり。

――と「詩的履歴書」に記したのは伊達(だて)じゃありませんでした。

 

 

お会式の夜

 

十月の十二日、池上の本門寺、

東京はその夜、電車の終夜運転、

来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、

太鼓の音の、絶えないその夜を。

 

来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。

吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。

遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、

頭上に、月は、あらわれている。

 

その時だ 僕がなんということはなく

落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは

まとめてみようというのではなく、

吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。

 

   思えば僕も年をとった。

   辛いことであった。

   それだけのことであった。

   ――夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。

 

十月の十二日、池上の本門寺、

東京はその夜、電車の終夜運転、

来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、

太鼓の音の、絶えないその夜。

 

    (一九三二・一〇・一五)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

 

池上本門寺の太鼓は

夜通し打ち鳴らされるはずですから

その音の消えるまで

詩人は近辺を散策して回ったのでしょう。

 

時には見知らぬ大道の香具師(やし)と

口をきいたりしたかも。

 

 

歩きとおす

――のと

自分を思んみる

――のとの二つは

詩を生むための前哨戦みたいなものでした。

 

詩はどこにあるのだろうと

困っている人があるならば

この詩はなんらかのヒントになるかもしれません。

 

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