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2018年1月19日 (金)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その6

 

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍

点は“ ”で表示しました。)

 

 

第1連末行の

幹々は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――のメタファー(擬人化)が示すのは

なんらかの人事に違いないのですが

それが何であるか伏したまま

それが詩人の心を羞じらわせたことだけが明きらかにされて

この詩は一気に幻視幻想の視界一色へと入ります。

 

幹々から枝々へ。

 

視線が移動した途端に

幻影であるかのような映像が出現します。

 

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

 

空に死児等の亡霊がいっぱいいる。

 

その亡霊たちがまばたきした。

 

あたかも光が明滅(明滅)するかのように

まばたいた丁度そのとき

向うの野のうえは

アストラカンの群れを縫う

古代の象の夢だった――。

 

 

この部分は

散文に置き換えようとすると無理が生じ

詩を破壊しますから

できるかぎり原文のままで読み続けなければならないことでしょう。

 

やむを得ず

こうして意味を追いますが

なぜ死児が現われるのか

なぜアストラカンが出てくるのか

古代の象の夢とはなんのことだろうか

死児等の亡霊とアストラカンはどのようにつながるのだろうかなどと

次々に疑問が湧いてきて

その問いを解こうとし続けることになります。

 

 

詩人はこの詩を書くまでに

多くの死に触れました。

 

死児といえば

長男文也の死がまっさきに思い浮かびますが

文也はこの詩を書いた時には生存中でした。

 

近くは4歳下の弟、恰三が

昭和6年(1931年)に20歳で亡くなっています。

 

古くは二男の亜郎が

大正4年(1915年)に、満4年2か月で死亡しています。

 

死児らの亡霊というのは

この二人の弟を指しているのでしょうか。

 

 

次に現われるアストラカンや

その間を縫う古代の象は

では何なのでしょうか。

 

死児等の亡霊と

どのようなつながりがあるでしょうか。

 

この問いを解きほぐすには

第1詩集「山羊の歌」の山羊にさかのぼる

命名の軌跡をたどるのに似た

アストラカンと詩人のつながりを探ることになるでしょう。

 

たとえばここで

ランボーの「太陽と肉体」(Soleil et Chair)という詩の

次のようなくだりを読んでおくことは

アストラカンに近づくためのヒントになるかも知れません。

 

 

若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。

獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、

愛の小枝の樹皮をば齧り、

金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。

地球の生気や河川の流れ、

樹々の血潮(ちしほ)が仄紅(ほのくれなゐ)に

牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)つた、かの頃を私は追惜します。

当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、

牧羊神が葦笛とれば、空のもと

愛の頌歌はほがらかに鳴渡つたものでした、

野に立つて彼は、その笛に答へる天地の

声々をきいてゐました。

黙(もだ)せる樹々も歌ふ小鳥に接唇(くちづけ)し、

大地は人に接唇し、海といふ海

生物といふ生物が神のごと、情けに篤いことでした。

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より。)

 

 

ここに出てくる

半人半山羊神(サチール)や山羊足などが

アストラカンと遠く反響しています。

 

 

次回に続きます。

 

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