年末年始に読む中原中也/朝の歌
いつ読んでも
同じような感慨に導かれる詩というものがあり
この詩は中也の詩のなかでも
それを安定と呼ぶならば
もっとも安定感のある詩といえるでしょうか。
数次にわたる推敲の経歴をもつ詩であり
自作年譜「詩的履歴書」に、
「朝の歌」にてほぼ方針立つ。
――と自ら記した
記念碑的作品です。
◇
朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂の香(か)に 朝は悩まし
うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな
ひろごりて たいらかの空、
土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
◇
記念碑的作品ですから
その制作エピソードは多彩ですし
興味深い事跡に充ちていますし
それゆえ詩の外部に関心は引っ張られがちな詩でもあります。
たまには肩の力を抜いて
詩そのものを味わいたいものですが
青春彷徨の真っただ中のある日の
語らいくたびれ飲み疲れたからだを
誰だか友だちの部屋へ運びこんだ暗がりが明けた朝の
雨戸を洩れ入る陽光の赤々と燃えるのを見あげる寝床の感触が
いまもここに残っているような思い出は鮮烈で
この詩がそれを歌っているのは
他人ごとではなく親しいものでありますから
この詩のエピソードはまた懐かしいことです。
◇
手にてなす なにごともなし……。
時は
そこに止まっているかのようです。
止まったまま
戻って来ません。
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