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2018年1月14日 (日)

年末年始に読む中原中也/含羞(はじらい)・その1

 

 

この詩「含羞(はじらい)」は

「在りし日の歌」の冒頭詩です。

 

冒頭に配置されたこと自体が

最大の謎ですが

詩内容も大きな謎に満ちています。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。「あすとらかん」の傍点

は“ ”で表示しました。)

 

 

まずは第1行、

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

――という、この自問が

なぜ今(=この詩の作られた現在)発せられたのか。

 

最終行でルフランされるに至っても

わかったように通り過ぎて

この詩を読み終えてしまうというのが

ほとんどの場合ではないでしょうか。

 

この疑問に答えるのは

容易なことではありません。

 

 

第2連、

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

――の意味や

 

第3、4連、

姉らしき色 きみはありにし

――の姉はだれのことかなども謎です。

 

いずれも

容易には答えられません。

 

 

この詩が

過去のある特定のシーンを歌っていることは明らかです。

 

そのシーンを回顧する「わが心」を

なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

――と自問する現在。

 

その答えを見つけようとしてそれを歌っているのに

答えは複雑な暗喩(メタファー)が入り交じって展開されるために

解を絞り込んでゆくのが容易ではありません。

 

詩の構造を捉えることができるのですから

細部を味わっていけばよいということなのに

ここで立ち往生してしまいます。

 

 

次回に続きます。

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