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2018年2月27日 (火)

中原中也・詩の宝島/ジュピター神の砲(ひづつ)/ランボーという事件

 

 

「冬の明け方」の初出は

「歴程」の昭和11年(1936年)4月号です。

 

中也はこの頃

草野心平の誘いに応じるまま(といっていいか)

「歴程」の同人になっています。

 

驚くべきことに(驚かないでいられる人もあるかもしれませんが)

この歴程(第2次)の編輯同人に

尾形亀之助の名がありました。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ解題篇)

 

 

ジュピター神の砲(ひづつ)という表現が

いつしか心の中に喰いこんでいたのに気づいたのは

冬の早朝の職場への道すがらでありましたが

早朝どころか太陽が東の空を割って出て

次第に青空が開け

そしてみなぎる陽光が街にかぎろいを生むまでの(それ以後ももちろん!)

お天道様の僥倖(ぎょうこう)を目撃し実感したからでありました。

 

陽一つが

星一つが

花一つが

生きていることの無駄でないことを

ジュピター神の砲(ひづつ)はあらためて教えてくれているように思えたのですが

その時、同時にランボーの詩篇を介した

小林秀雄と富永太郎の交感の物語(事件)が

頭の中を駆けめぐっていました。

 

京都の中原中也を訪れた富永太郎は

自らの詩のノートに筆写して持っていたランボーの詩篇「酔っぱらった船」を

中也に読み聞かせました。

 

初めて「酔っぱらった船」を読んだ中也は

以後、何度もこの詩を筆写するどころか

富永太郎が帰京したあとを追いかけるように上京し
フランス語でランボーほかの詩人の作品を読みながら

本気で詩人の道を歩みはじめます。

 

これが東京漂流のはじまりです。

 

佐々木幹郎「中原中也――沈黙の音楽」(岩波新書)は

その経緯をスリリングに記しています。

 

 

中也がダダイズムの詩から離れるきっかけに

富永太郎との交流のなかで知った

ランボーとの出合いがありました。

 

中也は以来ランボーをはじめとするフランス象徴詩を学びはじめ

フランス語を習得しつつ翻訳にも取り組んで

1933年(昭和8年)に「ランボオ詩集<学校時代の詩>」

1937年(昭和12年)には「ランボオ詩集」を翻訳刊行するまでになります。

 

 

今回はここまで。

 

 

冬の明け方

 

残(のこ)んの雪が瓦(かわら)に少なく固く

枯木の小枝が鹿のように睡(ねむ)い、

冬の朝の六時

私の頭も睡い。

 

烏(からす)が啼(な)いて通る――

庭の地面も鹿のように睡い。

――林が逃げた農家が逃げた、

空は悲しい衰弱。

      私の心は悲しい……

 

やがて薄日(うすび)が射し

青空が開(あ)く。

上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。

――四方(よも)の山が沈み、

 

農家の庭が欠伸(あくび)をし、

道は空へと挨拶する。

      私の心は悲しい……

 

 

 

 

 

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