中原中也・詩の宝島/ジュピター神の砲(ひづつ)と古代ギリシア
ジュピター神の砲(ひづつ)という語彙(ごい)を
中也はどのようにして自分の表現としたのか。
現代でこそジュピターは
カタカナ語(日本語)として
中学生でも知っているものになっていますが
ギリシア神話に現われるジュピターは
ダダイスト中也の語彙にはなかったのではないかと
ふとした疑問を抱いて調べてみました。
といっても
学者・研究者の姿勢はとりようになく
「ノート1924」の詩群から「朝の歌」までの詩を
ざっとめくってみただけですが。
◇
ランボーばかりでなく
フランス象徴詩派ばかりでなく
西欧文学を読んでいけば
キリスト教とともに古代ギリシアの造詣(ぞうけい)に圧倒されざるを得ず
中也もまたそれ相当に格闘したことを想像してみましょう。
ランボーをひもといただけでも
出くわさないわけにいかないほど
ジュピター神は
ありふれて登場する古代の神々の中心的存在なのだから
富永太郎や小林秀雄や河上徹太郎らが
すでに親しんでいて
普段の会話のなかに
ジュピターの一つ現れないわけがないと想像してみましょう。
◇
案の定といいましょうか
「ノート1924」の詩群には
神話時代のギリシアも
古典時代のギリシアも
ほぼ現われないことが分かりました。
◇
今回はここまで。
◇
冬の明け方
残(のこ)んの雪が瓦(かわら)に少なく固く
枯木の小枝が鹿のように睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。
烏(からす)が啼(な)いて通る――
庭の地面も鹿のように睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
私の心は悲しい……
やがて薄日(うすび)が射し
青空が開(あ)く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
――四方(よも)の山が沈み、
農家の庭が欠伸(あくび)をし、
道は空へと挨拶する。
私の心は悲しい……
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