中原中也・詩の宝島/「ノート1924」ダダ脱皮の道/「涙語」「無題(ああ雲は)」
「涙語」は
ダダ脱皮の意図があっても
ダダ脱皮が完全に行われた詩ではありませんね。
まづいビフテキ
寒い夜
――の冒頭の75調で
定型を目指しますが
澱粉(でんぷん)過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!
――の言葉遣いは
ダダの尻尾(しっぽ)が見えます。
生活の肩掛とある「肩掛」は
前作「浮浪歌」の「アストラカンの肩掛」に
まっすぐにつながっています。
◇
つづけて「ノート1924」にある
幻の第1詩集のための詩篇を読みましょう。
◇
無 題
ああ雲はさかしらに笑い
さかしらに笑い
この農夫 愚(おろ)かなること
小石々々
エゴイストなり
この農夫 ためいきつくこと
しかすがに 結局のとこ
この空は 胸なる空は
農夫にも 遠き家にも
誠意あり
誠意あるとよ
すぎし日や胸のつかれや
びろうどの少女みずもがな
腕をあげ 握りたるもの
放すとよ 地平のうらに
心籠(こ)め このこと果(はて)し
あなたより 白き虹より
道を選び道を選びて
それからよ芥箱(ごみばこ)の蓋
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
◇
こちらの「びろうどの少女」は
泰子でしょうね。
「浮浪歌」も
「涙語」も
この詩「無題(ああ雲は)」も
みんな長谷川泰子を歌っているのに気づきます。
◇
今回はここまで。
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