中原中也・詩の宝島/ランボーへの旅立ちと東京漂流/「むなしさ」から
中原中也が読んだ初めてのランボーは
「酔いどれ船」Bateau ivreの翻訳でした。
フランス語を知らないので
翻訳で詩を読むのは
それ以外に道がないわけですから当然のことでしたが
大正13年(1924年)から2年の間に3回筆写した生の原稿が残っているのですから
熱の入れようが想像できるというものです。
◇
中也は生前に
「アルチュル・ランボオ詩集<学校時代の詩>」(昭和8年12月)
「ランボオ詩抄」(昭和11年6月)
「ランボオ詩集」(昭和12年10月)
――の3冊を刊行。
雑誌に
アンドレ・ジイドなども翻訳し発表しました。
「ランボオ詩集」は
小林秀雄の「地獄の季節」「飾画」と補足関係にあったと
大岡昇平は記しています。
◇
ランボー以外の詩人についても
多量の未定稿を残しましたが
それは角川書店発行の「新編中原中也全集」第3巻「翻訳」に収録されています。
大正末年にフランス語を学習しはじめて
10数年でランボーの全訳詩集を発行するまでになったことのほか
角川新全集のこの翻訳のうちわけを見ると
半端ではなかった業績をあらためて知ることになりますし
近年、ますますその評価は高まっています。
◇
しかし、今、まだ
昭和の初めに中原中也はいます。
ランボーと出会ったばかりで
自選詩集を出していない
駆け出しの詩人です。
連れだって上京してきたパートナーは
詩人の元を去り
「地獄の季節」に熱中していた東大生と暮らしています。
詩人は
「酔いどれ船」さながら
東京の街を漂流しています。
漂流のはじまりに
「むなしさ」は書かれました。
◇
むなしさ
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
よすがなき われは戯女(たわれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
◇
今回はここまで。
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