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2018年3月31日 (土)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり>

 

 

 

 葉書で驚いた。でもさきが見えてるので安心だ。僕先月25日に喀血をやりそれ以来すぐ

れぬ。が回復しつつあることはたしかだ。中原とのこと当り前のことだ。

 

 

これは、

富永太郎が小林秀雄に宛てた1925年11月4日付けの手紙ですが

投函されなかったものです。

 

これを書いた10日後に

富永太郎は絶命しました。

 

看護婦に

巻紙を頭の上に広げてもらって書いたが

力尽きて筆を落としたそうです。

 

 

この頃、小林秀雄は

大島旅行から帰ってすぐに盲腸炎にかかり

神田の泉橋病院に入院していました。

 

富永が「葉書で驚いた」と書いているのは

小林が盲腸炎で入院中であることを

小林が送った葉書で知ったためと推測されます。

 

長谷川泰子との関係も

この葉書に書かれてあったらしく

この時に初めて知ったのならば

そのことの驚きも含まれていたことでしょう。

 

(以上、現代詩文庫「富永太郎詩集」1975より。)

 

 

投函されなかったこの手紙の内容は

富永太郎の葬儀が終わって

正岡忠三郎、村井康男らが

泉橋病院の小林を訪ねる場面へとつながります。

 

 

14日午後2時、出棺。代々幡火葬場へ向かう。午後4時に辞した後、正岡忠三郎、冨倉徳

次郎、村井康男、斎藤寅郎は泉橋病院に入院中の小林秀雄を訪ねる。病室で長谷川泰

子と行き合う。

(「新編中原中也全集」別巻(上)「写真・図版篇」より。)

 

 

中原中也と小林秀雄の

ランボーを介した交流関係は

どうしても、

富永太郎に遡行(そこう)しますし

長谷川泰子に遡行します。

 

1926年の2人の関係を

切り取ろうとしてもそうなりますが……。

 

 

今回はここまで。

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