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2018年3月 3日 (土)

中原中也・詩の宝島/「浮浪歌」のアストラカン

 

 

「ノート1924」には

 ダダイズムの詩。(大正13年制作推定)

 第1詩集に予定していた詩篇。(昭和2、3年制作推定)

 ランボー「酔ひどれ舟」の上田敏訳・未定稿の筆写。

――が記されています。

 

中也はこのノートの使用中に

長谷川泰子と同棲し(大正13年4月17日以降)

富永太郎(大正13年7月初旬に京都訪問)と知り合っています。
 
泰子とともに上京したのが
大正14年(1925年)3月10日、

小林秀雄を知ったのが同年4月、

富永太郎が死亡したのが同年11月、

この11月に泰子は中也と別れ小林と同棲しはじめます。
 

 

②の第1詩集というのは

昭和2、3年の頃に計画され

結局は陽の目をみなかった最初の詩集のことです。

 

この詩集のために

再びこのノートを使うことになって

最終頁から逆向きに

7篇の詩篇の清書稿と下書き稿が記されました。

 

これらの詩篇は

明らかにダダイズムではない制作手法で書かれていますから

「ノート1924」は

富永太郎を知ったことをきっかけに

ダダからの脱皮が図られた経緯が

歴然と明かされる資料になっているのです。

 

①に「古代土器の印象」はあり

②に「浮浪歌」があります。

 

 

浮浪歌

 

暗い山合(やまあい)、

簡単なことです、

つまり急いで帰れば

これから一時間というものの後には

すきやきやって湯にはいり

赤ン坊にはよだれかけ

それから床にはいれるのです

 

川は罪ないおはじき少女

なんのことかを知ってるが

こちらのつもりを知らないものとおんなじことに

後を見(み)後を見かえりゆく

アストラカンの肩掛(かたかけ)に

口角の出た叔父(おじ)につれられ

そんなにいってはいけませんいけません

 

あんなに空は額(ひたい)なもの

あなたははるかに葱(ねぎ)なもの

薄暗(うすぐら)はやがて中枢なもの

 

それではずるいあきらめか

天才様のいうとおり

 

崖が声出す声を出す。

おもえば真面目不真面目の

けじめ分たぬわれながら

こんなに暖い土色の

代証人の背(せな)の色

 

それ仕合せぞ偶然の、

されば最後に必然の

愛を受けたる御身(おみ)なるぞ

さっさと受けて、わすれっしゃい、

この時ばかりは例外と

あんまり堅固(けんこ)な世間様

私は不思議でございます

そんなに商売というものは

それはそういうもんですのが。

 

朝鮮料理屋がございます

目契(もっけい)ばかりで夜更(よふけ)まで

虹や夕陽のつもりでて、

 

あらゆる反動は傍径(ぼうけい)に入(い)り

そこで英雄になれるもの

 

(「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩の第1連冒頭の調子は非定型ですが

後半、

 

すきやきやって湯にはいり

赤ン坊にはよだれかけ

――には75のリズムが顔をだします。

 

そして、第2連以降は

ずっと75調の強い定型が保たれます。

 

それだけでも

ダダイズムの詩とは異なることがわかります。

 

 

ここではそういうことよりも

第2連のアストラカンの肩掛けに

息を飲んで惹きつけられます。

 

この肩掛けが泰子のものであるのにも注目されますが

アストラカンという語彙(ボキャブラリー)が現われることに

身を乗り出す姿勢になります。

 

 

クリストからアストラカンへ――。

 

うっすらと古代ギリシアへの道が

開けているような兆です。

 

 

今回はここまで。

 

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