中原中也・詩の宝島/ランボー「太陽と肉体」の神々
アストラカンがはたして
古代ギリシアにつながるのでしょうか――。
空想に近いものですけれど
一つのかすかな手がかりは
ランボーの詩「太陽と肉体」にあります。
遠い迂回かも知れませんが
まずはこの詩を読んでみましょう。
◇
中原中也の訳を
現代かな遣いに直して読みます。
◇
太陽と肉体
太陽、この愛と生命の家郷は、
嬉々たる大地に熱愛を注ぐ。
我等谷間に寝そべっている時に、
大地は血を湧き肉を躍らす、
その大いな胸が人に激昂させられるのは
神が愛によって、女が肉によって激昂させられる如くで、
また大量の樹液や光、
あらゆる胚種を包蔵している。
一切成長、一切増進!
おお美神(ヴィーナス)、おお女神!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。
獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、
愛の小枝の樹皮をば齧(かじ)り、
金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮(ちしお)が仄紅(ほのくれない)に
牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)った、かの頃を私は追惜します。
当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、
牧羊神が葦笛とれば、空のもと
愛の頌歌(しょうか)はほがらかに鳴渡ったものでした、
野に立って彼は、その笛に答える天地の
声々をきいていました。
黙(もだ)せる樹々も歌う小鳥に接唇(くちづけ)し、
大地は人に接唇し、海という海
生物という生物が神のごと、情けに篤いことでした。
壮観な市々(まちまち)の中を、青銅の車に乗って
見上げるように美しかったかのシベールが、
走り廻っていたという時代を私は追惜します。
乳房ゆたかなその胸は顥気(こうき)の中に
不死の命の霊液をそそいでいました。
『人の子』は吸ったものです、よろこんでその乳房をば、
子供のように、膝にあがって。
だが『人の子』は強かったので、貞潔で、温和でありました。
なさけないことに、今では彼は言うのです、俺は何でも知ってると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞(ふさ)いで歩くのです。
それでいて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!
おお! 神々と男達との大いなる母、シベールよ、
そなたの乳房をもしも男が、今でも吸うのであったなら!
昔青波(せいは)の限りなき光のさ中に顕れ給い
浪かおる御神体、泡降りかかる
紅(とき)の臍(ほぞ)をば示現し給い、
森に鶯(うぐいす)、男の心に、愛を歌わせ給いたる
大いなる黒き瞳も誇りかのかの女神
アスタルテ、今も此の世におわしなば!
Ⅱ
私は御身を信じます、聖なる母よ、
海のアフロデテよ!――他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給いてより、御身への道のにがいこと!
肉、大理石、花、ヴィーナス、私は御身を信じます!
そうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けている、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまったのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇った木偶(でく)といじけさせました!
それでいて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすったあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰ったおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にゃなれぬ!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なヴィーナスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑っている。
Ⅲ
もしかの時代が帰りもしたらば! もしかの時代が帰りもしたらば!……
だって『人の子』の時代は過ぎた、『人の子』の役目は終った。
かの時代が帰りもしたらば、その日こそ、偶像壊(こぼ)つことにも疲れ、
彼は復活するでもあろう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者の如く、諸天を吟味しだすであろう。
理想、砕くすべなき永遠の思想、
かの肉体(にく)に棲む神性は
昇現し、額の下にて燃えるであろう。
そして、あらゆる地域を探索する、彼を御身が見るだろう時、
諸々の古き軛(くびき)の侮蔑者にして、全ての恐怖に勝てる者、
御身は彼に聖・贖罪(しょくざい)を給うでしょう。
海の上にて荘厳に、輝く者たる御身はさて、
微笑みつつは無限の『愛』を、
世界の上に投ぜんと光臨されることでしょう。
世界は顫(ふる)えることでしょう、巨大な竪琴さながらに
かぐわしき、巨(おお)いな愛撫にぞくぞくしながら……
――世界は『愛』に渇(かつ)えています。御身よそれをお鎮め下さい、
おお肉体のみごとさよ! おお素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明(よあけ)の凱旋
神々も、英雄達も身を屈め、
エロスや真白のカリピイジュ
薔薇の吹雪にまよいつつ
足の下(もと)なる花々や、女達をば摘むでしょう!
Ⅳ
おお偉大なるアリアドネ、おまえはおまえの悲しみを
海に投げ棄てたのだった、テーゼの船が
陽に燦いて、去ってゆくのを眺めつつ、
おお貞順なおまえであった、闇が傷めたおまえであった、
黒い葡萄で縁取った、金の車でリジアスが、
驃駻(ひょうかん)な虎や褐色の豹に牽かせてフリージアの
野をあちこちとさまよって、青い流に沿いながら
進んでゆけば仄暗(ほのぐら)い波も恥じ入るけはいです。
牡牛ゼウスはユウロペの裸かの身をば頸にのせ、
軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気(さむけ)する
ゼウスの丈夫なその頸(くび)に、白い腕(かいな)をユウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼(まなこ)を閉じて、彼女は死にます
神聖な接唇(ベーゼ)の只中に、波は音をば立ててます
その金色の泡沫(しわぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
夾竹桃と饒舌(おしゃべり)な白蓮の間(あわい)をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)しています、
その真っ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
さてヴィーナス様のお通りです、
めずらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になって
幅広の胸に黄金(こがね)をはれがましくも、
雪かと白いそのお腹(なか)には、まっ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
獅(しし)の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
恐(こわ)いうちにも優しい顔して、地平の方(かた)へと進みゆく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立って夢みる裸身のもの
丈長髪(たけなががみ)も金に染み蒼ざめ重き波をなす
これぞ御存じドリアード、沈黙(しじま)の空を眺めいる……
苔も閃めく林間の空地(あきち)の中の其処にして、
肌も真白のセレネーは面帕(かつぎ)なびくにまかせつつ、
エンデミオンの足許(あしもと)に、怖ず怖ずとして、
蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
泉は遐(とお)くで泣いてます うっとり和(なご)んで泣いてます……
甕(かめ)に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
思っているのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
立っているのは物言わぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかお)に鶯(うそ)は塒(ねぐら)を作り、
神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
(1870、5月)
(「新編中原中也全集」第3巻・翻訳より。神々の名を一部、現代通用語に改めました。編者。)
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