中原中也・詩の宝島/「羊」への愛着/「初恋集 むつよ」
テキスト(作品)の外部の言葉として
もう一つ。
中原中也と山羊の関わりについて
中原家の4男、思郎(中也は長男)が書き残すのは
父、謙助が実際に飼っていた山羊のことです。
◇
① 中也の父謙助は、湯田医院長のとき山羊を飼った。牡牝2頭。飼った当初は、小枝のよ
うな角が突き出ていたが、日が経つにつれて角は太くなり後ろに曲ってきた。やがて牝が
妊娠し2頭の仔山羊を産んだ。
中也たちは分娩の現場を目撃し、溢れる羊水と、ブラリと垂れ下がった胎盤に衝撃を受け
た。産後は悪く牝は死に、間もなく牡も何処かに消えた。
② 山羊健在の頃、中也たちは、近くの野原に山羊を連れていき、近所の子供たちに誇示
するかのように山羊に巻きついて戯れた。山羊は首をのばしてメーメーと鳴いた。
――などと「事典・中也詩と故郷」(「中原中也必携」学燈社、1979年)に記しました。
◇
山羊を飼っていたころに
中也が山口中学を落第する事件がありました。
謙助の落胆は深刻で
これを機に湯田医院の衰微がはじまったそうです。
山羊の乳と牛の乳の栄養学的な比較研究と
入院患者へ羊乳を試飲させるサービスをかねた
医院の権威づけを意図したものでした。
山羊は
湯田医院の消長の象徴であったと
記したものでした。
◇
中也本人が
これらのことを認識していなかったものとは思えませんから
山羊への思い入れは一入(ひとしお)であったことが想像できますね。
テキスト(詩作品)を離れた現実生活の
第1次資料として
これらの証言は貴重ですし
溜飲の下がる思いになります。
◇
思郎はこれらの記述につづけて
「初恋集 むつよ」を案内しています。
なかに野羊が現われますから。
◇
初恋集
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしっかりしてると
僕は思っていたのでした
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
その後、あなたは、僕を去ったが
僕は何時まで、あなたを思っていた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。
僕がどんなに泣き笑いしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたって
それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。
(1935・1・11)
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
◇
今回はここまで。
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