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« 中原中也・詩の宝島/「太陽と肉体」の半獣神たち | トップページ | 中原中也・詩の宝島/「幼獣の歌」の太古 »

2018年3月 8日 (木)

中原中也・詩の宝島/「フォーヌの頭」の羊

 

 

サチールや

フォーヌや

パンが

羊のからだを持つ半人半獣の神であることを

指摘するまでもありませんが

ランボーが「太陽と肉体」を書いたときに

「羊」を格別に意識していたかどうか。

 

ランボーが意識していなくても

中原中也はどうであったかといえば

やはり、相当に特別な関心を抱いていたであろうことは

終生にわたる「羊」へのこだわりの跡を見れば

わかろうというものです。

 

第1詩集「山羊の歌」という詩集タイトル一つが

「羊」へのこだわりから生まれていることを

ここでは想起しておきましょう。

 

アストラカンも

そのこだわりの一つですし。

 

 

さて、中也の羊へのこだわりは

どこから生まれたのでしょうか。

 

フォーヌが「太陽と肉体」に現われたところで

ランボーの詩「フォーヌの頭」に

目を向けておきましょう。


ここにヒントはあります。

 

 

フォーヌの頭

 

緑金に光る葉繁みの中に、

接唇(くちづけ)が眠る大きい花咲く

けぶるがような葉繁みの中に

活々として、佳き刺繍(ぬいとり)をだいなしにして

 

ふらふらフォーヌが二つの目を出し

その皓(しろ)い歯で真紅(まっか)な花を咬んでいる。

古酒と血に染み、朱(あけ)に浸され、

その唇は笑いに開く、枝々の下。

 

と、逃げ隠れた――まるで栗鼠(りす)、――

彼の笑いはまだ葉に揺らぎ

鷽(うそ)のいて、沈思の森の金の接唇(くちづけ)

掻きさやがすを、われは見る。

 

(「新編中原中也全集」第3巻・翻訳より。新かなに変えてあります。)

 

 

ランボーの原作に圧倒されますが

中原中也の翻訳も絶品ですね。

 

緑金に光る葉繁み

――という書き出しの1フレーズからして

息を飲まされる輝かしさではありませんか!

 

古酒と血に染み、朱(あけ)に浸され、

その唇は笑いに開く、枝々の下。

――というあたりには

ゾクゾクさせるものがありますね。

 

牧神の昼下がり

否、夜の景色でしょうか。

 

これらのわくわくする描写と

フォーヌをランボーが扱った動機とは

強く直結する重大な問題です。

 

それは

フリードリッヒ・ニーチェが「悲劇の誕生」で

サチール(サチュルス)合唱団に着目したのに似た

ランボーのこだわりに違いありません。

 

 

今回はここまで。

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