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2018年3月29日 (木)

中原中也・詩の宝島/「臨終」ダダ脱皮の途上で/ランボー原書

 

 

大正15年(1926年)1月16日付け正岡忠三郎宛の書簡にある

もう一つ見逃せない記述は、

仏語雑誌、ありがたう。

ランボオの詩集お送り願ふ、切に切に。

――という下りです。

 

この下りでは

正岡忠三郎にフランス語の雑誌を借りたか

譲ってもらったかしたのに対する礼を言い、

同時にランボー詩集の原書を郵送してほしいことを依頼しているのです。

 

このランボー詩集は

ベリション版ランボオ著作集のことで

中原中也はこの日の直後には

これを入手しています。

 

横浜行きの感想を述べるいっぽうで

ランボー詩集の原書を依頼し

そしてそれを入手するという

この頃の詩人の状況が

端的にこの書簡に現れていることになります。

 

このことはつまり

ランボーへの取り組み(ランボーという事件)と

横浜彷徨(東京漂流)は同じ起源にあったことを物語ります。

 

 

この年(大正15年、1926年)の年末には

大正天皇が崩御し昭和元年がはじまります。

 

(※昭和元年は、わずか1週間で昭和2年・1927年がはじまりますから、3年が流れたよ

うな錯覚に陥らないよう注意しましょう。)

 

 

ここで大正15年・昭和元年(1926年)の年譜を

少しひもといておきましょう。

 

2月

「むなしさ」を制作。



4月

日本大学予科に入学。

 

5月

「朝の歌」を制作。

メッサン版ヴェルレーヌ全集第1巻を購入。

 

7月

「朝の歌」を小林に見せる。

9月

日本大学予科を退学。

 

11月

「夭折した富永」を「山繭」に寄稿。

アテネ・フランセへ通う。

 

12月

小林秀雄の著作「人生斫断家アルチュル・ランボオ」の感想を送る。

 

 

「臨終」も

この年のどこかで書かれました。



中原中也は

「むなしさ」

「朝の歌」

「臨終」

――を書いた年に

ランボー原書を手に入れました。

 

「山羊の歌」は

この「臨終」を「朝の歌」の後に配置します。

 

 

今回はここまで。

 

 

臨 終

 

秋空は鈍色(にびいろ)にして

黒馬(くろうま)の瞳のひかり

  水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)

  ああ こころうつろなるかな

 

神もなくしるべもなくて

窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ

  白き空盲(めし)いてありて

  白き風冷たくありぬ

 

窓際に髪を洗えば

その腕の優しくありぬ

  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ

  水の音(おと)したたりていぬ

 

町々はさやぎてありぬ

子等(こら)の声もつれてありぬ

  しかはあれ この魂はいかにとなるか?

  うすらぎて 空となるか?

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

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