中原中也・詩の宝島/「臨終」ダダ脱皮の途上で/ランボー原書
大正15年(1926年)1月16日付け正岡忠三郎宛の書簡にある
もう一つ見逃せない記述は、
仏語雑誌、ありがたう。
ランボオの詩集お送り願ふ、切に切に。
――という下りです。
この下りでは
正岡忠三郎にフランス語の雑誌を借りたか
譲ってもらったかしたのに対する礼を言い、
同時にランボー詩集の原書を郵送してほしいことを依頼しているのです。
このランボー詩集は
ベリション版ランボオ著作集のことで
中原中也はこの日の直後には
これを入手しています。
横浜行きの感想を述べるいっぽうで
ランボー詩集の原書を依頼し
そしてそれを入手するという
この頃の詩人の状況が
端的にこの書簡に現れていることになります。
このことはつまり
ランボーへの取り組み(ランボーという事件)と
横浜彷徨(東京漂流)は同じ起源にあったことを物語ります。
◇
この年(大正15年、1926年)の年末には
大正天皇が崩御し昭和元年がはじまります。
(※昭和元年は、わずか1週間で昭和2年・1927年がはじまりますから、3年が流れたよ
うな錯覚に陥らないよう注意しましょう。)
◇
ここで大正15年・昭和元年(1926年)の年譜を
少しひもといておきましょう。
2月
「むなしさ」を制作。
4月
日本大学予科に入学。
5月
「朝の歌」を制作。
メッサン版ヴェルレーヌ全集第1巻を購入。
7月
「朝の歌」を小林に見せる。
9月
日本大学予科を退学。
11月
「夭折した富永」を「山繭」に寄稿。
アテネ・フランセへ通う。
12月
小林秀雄の著作「人生斫断家アルチュル・ランボオ」の感想を送る。
◇
「臨終」も
この年のどこかで書かれました。
中原中也は
「むなしさ」
「朝の歌」
「臨終」
――を書いた年に
ランボー原書を手に入れました。
「山羊の歌」は
この「臨終」を「朝の歌」の後に配置します。
◇
今回はここまで。
◇
臨 終
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
ああ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
水の音(おと)したたりていぬ
町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
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