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2018年3月30日 (金)

中原中也・詩の宝島/「朝の歌」/ダダ脱皮



中原中也が

1926年(大正15年・昭和元年)に作った「朝の歌」は

後に詩人自らが「詩的履歴書」に記したように

自他ともに認める会心作になりました。

 

大正15年5月、「朝の歌」を書く。7月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。つま

り「朝の歌」にてほぼ方針立つ。方針は立ったが、たった14行書くために、こんなに手数がかかるので

はとガッカリす。

――と記したのですが

小林秀雄の目にかなった作品であることによって

「朝の歌」は自他ともに認める詩とされたのでした。

 

 

朝の歌

 

天井に 朱(あか)きいろいで

  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、

鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い

  手にてなす なにごともなし。

 

小鳥らの うたはきこえず

  空は今日 はなだ色らし、

倦(う)んじてし 人のこころを

  諫(いさ)めする なにものもなし。

 

樹脂の香(か)に 朝は悩まし

  うしないし さまざまのゆめ、

森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

 

ひろごりて たいらかの空、

  土手づたい きえてゆくかな

うつくしき さまざまの夢。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

この詩が

詩人自身も納得し

小林秀雄も評価することになった第一の理由は

ダダイズムの痕跡が完全に消えて

独自の詩世界が拓(ひら)かれたところにありました。

 

第1詩集「山羊の歌」では

2番詩「月」にはじまり

「サーカス」「春の夜」を経て

「朝の歌」へ至り

「臨終」以降へと連なる流れに

そのダダ脱皮の苦闘の跡が見られます。

 

この過程で

宮沢賢治、富永太郎ら日本の詩や

ランボー、ボードレール、ヴェルレーヌらフランス詩を吸収します。

 

 

1926年(大正15年・昭和元年)にはこうして

「むなしさ」

「朝の歌」

「臨終」

――を生みますが

この間の、小林秀雄との交流は

どのようなものだったのでしょうか。

 

ランボーの存在が

そこにあります。

 

 

今回はここまで。

 

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