中原中也・詩の宝島/「臨終」ダダ脱皮の途上で/横浜彷徨
◇
臨 終
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
ああ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
水の音(おと)したたりていぬ
町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
◇
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ、と
窓際に髪を洗えば、と
2度現われる窓の女性は
緋の衣装を羽織っていたでしょうか。
横浜についての詩人の最初の記述は
大正15年(1926年)1月16日付け正岡忠三郎宛ての書簡とされていますが
この書簡、興味深い色々なことが書かれていますから
全文を読んでおきましょう。
◇
1月16日 正岡忠三郎宛
手紙を書くことが対話しているやうに思へる程、それ程みじめなのだ。
頭の中にメリヤス屋の軒先に吊るしてある女の児の赤い股引が、カーギン電球の光をう
けてユラユラ、ユラユラしてるやうだ。
今日あたりまた横浜へでも出掛けたいのだが、古道具屋の親爺が郷里で親父が危篤だ
とかでゐなくつて借れないのだ。――
横浜という所には、常なるさんざめける湍水(たんすい)の哀歓の音と、母さんの少女時代
の幻覚と、謂はば歴史の純良性があるのだ。あんまりありがたいものではないが、同種療
法さ。
仏語雑誌、ありがたう。
ランボオの詩集お送り願ふ、切に切に。
文化学院に大学部の出来たことを知って、喜んでる。殆ど無試験だ。校舎に行ってみた
ら、階段がカンヴァス地で張つてあるのだ。また門表に並べて、「明星」発行所とある。立
命館よりもつと上等らしい。
左様なら
中也
1月16日
正岡忠三郎様
(「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」本文篇より。改行を加え、洋数字に改めまし
た。編者。)
◇
富永太郎の死があり
長谷川泰子との別れがあり
泰子との別れは同時にそれは小林秀雄との暮らしのはじまりであり……。
それからおよそ2か月後の手紙なのです、これは。
中に横浜彷徨への動機が
記されてあります。
◇
第一に言っておきたいのは
この女性の死に
富永太郎の死がかぶって来るのを
抑えきれないことです。
◇
今回はここまで。
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