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2018年3月26日 (月)

中原中也・詩の宝島/「臨終」ダダ脱皮の途上で

 

 

中原中也が「秋の愁嘆」を書いた丁度そのころ

富永太郎は臨終のベッドにありました。

 

1925年(大正14年)11月6日に他界します。

 

同月13日に納棺、14日に火葬されますが

その様子を

新全集の「中原中也年譜」(加藤邦彦)は

次のように記しています。

 

 

11月13日 昼、富永太郎納棺。夕方、中也、富永宅を訪れる。「dadacin青いかほをして

来る。二晩ねなかつたと」(*47)。村井康男を知ったは、このときか(*48)。富永の遺稿

を見ながら徹夜。

 

14日午後2時、出棺。代々幡火葬場へ向かう。午後4時に辞した後、正岡忠三郎、冨倉徳

次郎、村井康男、斎藤寅郎は泉橋病院に入院中の小林秀雄を訪ねる。病室で長谷川泰

子と行き合う(*49)。

 

   ※*で示された語註――。

     *47 正岡忠三郎日記。

      *48 村井康男「思い出すままに」。

      *49 正岡忠三郎日記。小林は当時、盲腸炎のために入院していた。

 

(「新編中原中也全集」別巻・写真図表篇の巻末に収載。改行を加えました。編者。)

 

 

このあたりのことは

大岡昇平の「朝の歌」に詳しいから

それを読まないでは話が通じませんが

「秋の愁嘆」が書かれた頃にはじまる混沌(とした状況)は

中原中也の詩の混沌(とした豊穣)であり

ダダイズムを脱皮する過程でした。

 

過程である以上の混沌でした。

 

一挙に世界が混沌と化し

詩人が混沌を漂流するのは

「酔いどれ船」さながらでありました。

 

大海の中の小舟でしたが

この小舟、積み切れないほどの豊穣を抱えます。

 

 

「臨終」が書かれたのも

この頃でした。

 

 

臨 終

 

秋空は鈍色(にびいろ)にして

黒馬(くろうま)の瞳のひかり

  水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)

  ああ こころうつろなるかな

 

神もなくしるべもなくて

窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ

  白き空盲(めし)いてありて

  白き風冷たくありぬ

 

窓際に髪を洗えば

その腕の優しくありぬ

  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ

  水の音(おと)したたりていぬ

 

町々はさやぎてありぬ

子等(こら)の声もつれてありぬ

  しかはあれ この魂はいかにとなるか?

  うすらぎて 空となるか?

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 



中原中也19歳の年の制作です。



今回はここまで。

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