中原中也・詩の宝島/「臨終」ダダ脱皮の途上で
中原中也が「秋の愁嘆」を書いた丁度そのころ
富永太郎は臨終のベッドにありました。
1925年(大正14年)11月6日に他界します。
同月13日に納棺、14日に火葬されますが
その様子を
新全集の「中原中也年譜」(加藤邦彦)は
次のように記しています。
◇
11月13日 昼、富永太郎納棺。夕方、中也、富永宅を訪れる。「dadacin青いかほをして
来る。二晩ねなかつたと」(*47)。村井康男を知ったは、このときか(*48)。富永の遺稿
を見ながら徹夜。
14日午後2時、出棺。代々幡火葬場へ向かう。午後4時に辞した後、正岡忠三郎、冨倉徳
次郎、村井康男、斎藤寅郎は泉橋病院に入院中の小林秀雄を訪ねる。病室で長谷川泰
子と行き合う(*49)。
※*で示された語註――。
*47 正岡忠三郎日記。
*48 村井康男「思い出すままに」。
*49 正岡忠三郎日記。小林は当時、盲腸炎のために入院していた。
(「新編中原中也全集」別巻・写真図表篇の巻末に収載。改行を加えました。編者。)
◇
このあたりのことは
大岡昇平の「朝の歌」に詳しいから
それを読まないでは話が通じませんが
「秋の愁嘆」が書かれた頃にはじまる混沌(とした状況)は
中原中也の詩の混沌(とした豊穣)であり
ダダイズムを脱皮する過程でした。
過程である以上の混沌でした。
一挙に世界が混沌と化し
詩人が混沌を漂流するのは
「酔いどれ船」さながらでありました。
大海の中の小舟でしたが
この小舟、積み切れないほどの豊穣を抱えます。
◇
「臨終」が書かれたのも
この頃でした。
◇
臨 終
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
ああ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
水の音(おと)したたりていぬ
町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
◇
中原中也19歳の年の制作です。
◇
今回はここまで。
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