中原中也・詩の宝島/「かの女」ダダ脱皮の途上で/宮沢賢治「春と修羅」の跡
東京漂流は
横浜の街からはじまりました。
「むなしさ」に似た未発表詩に
「かの女」があります。
この詩も
大正15年(1926年)の制作と推定されています。
◇
かの女
千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、
笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、
露じめる夜のかぐろき空に、
かの女はうたう。
「月汞(げっこう)はなし、
低声(こごえ)誇りし男は死せり。
皮肉によりて瀆(けが)されたりし、
生よ歓喜よ!」かの女はうたう。
鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、
翁(おきな)よいましかの女を抱け。
自覚なかりしことによりて、
いたましかりし純美の心よ。
かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、
汝(なれ)こそはげに、太陽となる!
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
◇
ここに歌われている女性が
横浜の街の娼婦であることも疑いないことでしょうし
この女性に長谷川泰子の面影を読むことも可能でしょうが
「むなしさ」と同様に
詩人自身が投影されていることが
第一に重要なポイントです。
自身を重ね合わせることなくして
彼女に同情する上から目線では
詩が成り立ちません。
◇
千の華燈(かとう)
月汞(げっこう)
鬱悒(うつゆう)
純美の心
……などの漢語表現が
高踏的であると見なされ
富永太郎や宮沢賢治らの影響があるというのも
「むなしさ」と同様です。
とりわけ
月汞(げっこう)の一語は
宮沢賢治「春と修羅」中の「風の偏倚」にあり
日本語として使われた珍しい例であるため
これに倣(なら)ったものと考えられています。
「春と修羅」は
大正13年.(1924年)4月に自費出版され
中也は翌年末か、翌々年初めに入手しています。
(※「風の偏倚」は、青空文庫「春と修羅」で読むことができます。)
◇
遊女を歌っているのも
ランボーやベルレーヌやボードレールなどフランス詩の影ともいえますし
これもダダ詩からの脱皮の跡でしょう。
第2連に「 」で括(くく)られて引用された詩句の出所は
おそらくフランス詩でしょうが
定かではありません。
◇
今回はここまで。
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