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2018年3月21日 (水)

中原中也・詩の宝島/「かの女」ダダ脱皮の途上で/宮沢賢治「春と修羅」の跡

 

 

東京漂流は

横浜の街からはじまりました。

 

「むなしさ」に似た未発表詩に

「かの女」があります。

 

この詩も

大正15年(1926年)の制作と推定されています。

 

 

かの女

 

千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、

笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、

露じめる夜のかぐろき空に、

かの女はうたう。

 

「月汞(げっこう)はなし、

低声(こごえ)誇りし男は死せり。

皮肉によりて瀆(けが)されたりし、

生よ歓喜よ!」かの女はうたう。

 

鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、

翁(おきな)よいましかの女を抱け。

自覚なかりしことによりて、

 

いたましかりし純美の心よ。

かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、

汝(なれ)こそはげに、太陽となる!

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

 

ここに歌われている女性が

横浜の街の娼婦であること も疑いないことでしょうし

この女性に長谷川泰子の面影を読むことも可能でしょうが

「むなしさ」と同様に

詩人自身が投影されていることが

第一に重要なポイントです。

 

自身を重ね合わせることなくして

彼女に同情する上から目線では

詩が成り立ちません。

 

 

千の華燈(かとう)

月汞(げっこう)

鬱悒(うつゆう)

純美の心

……などの漢語表現が

高踏的であると見なされ

富永太郎や宮沢賢治らの影響があるというのも

「むなしさ」と同様です。

 

とりわけ

月汞(げっこう)の一語は

宮沢賢治「春と修羅」中の「風の偏倚」にあり

日本語として使われた珍しい例であるため

これに倣(なら)ったものと考えられています。

 

「春と修羅」は

大正13年.(1924年)4月に自費出版され

中也は翌年末か、翌々年初めに入手しています。

 

(※「風の偏倚」は、青空文庫「春と修羅」で読むことができます。)

 

 

遊女を歌っているのも

ランボーやベルレーヌやボードレールなどフランス詩の影ともいえますし

これもダダ詩からの脱皮の跡でしょう。

 

第2連に「 」で括(くく)られて引用された詩句の出所は

おそらくフランス詩でしょうが

定かではありません。

 

 

今回はここまで。

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