中原中也・詩の宝島/ダダ脱皮の道/「ノート1924」の背景
「ノート1924」は
使われているノートに1924の印字があることから
編者がつけた仮称です。
角川全集の初期から呼ばれていたか
もっと前からの習慣か
仮称が定着しました。
◇
1924とあるから
中に書かれたものが
すべて1924年に記されたものかというと
そうではありません。
ノートの終りの部分に
昭和2、3年頃に計画された
第1詩集のための草稿と推定されている詩篇が存在します。
この草稿のうちわけは
「浮浪歌」
「涙語」
「無題(ああ雲はさかしらに笑い)」
(秋の日をあゆみ疲れて)
(かつては私も)
「秋の日」
「無題(緋のいろに心はなごみ)」
――の7篇です。
(「 」は清書稿、( )は下書き稿。)
◇
これら7篇が
ダダイズムの詩を脱皮した詩風を示しているのは
まずは富永太郎との交友関係の影響と見なされていることですが
これは富永が作った詩の影響であるばかりではなく
富永が小林秀雄とともに熱中していたランボーの存在がありました。
背景にランボーという事件があったのですが
詩境や詩風の変化は
そればかりでなく
富永太郎の死や
長谷川泰子との離別(11月の事件)や
小林秀雄、長谷川泰子との「奇怪な三角関係」(小林秀雄)の進行にも促されました。
◇
7篇の中の1篇を読んでおきましょう。
◇
涙 語
まずいビフテキ
寒い夜
澱粉(でんぷん)過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!
あれあの星というものは
地球と人との様(さま)により
新古自在(しんこじざい)に見えるもの
とおい昔の星だって
いまの私になじめばよい
私の意志の尽きるまで
あれはああして待ってるつもり
私はそれをよく知ってるが
遂々のとこははむかっても
ここのところを親しめば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもがそこですまされるというもの
この生活の肩掛(かたかけ)や
この生活の相談が
みんな私に叛(そむ)きます
なんと藁紙(わらがみ)の熟考よ
私はそれを悲しみます
それでも明日は元気です
(新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
◇
今回はここまで。
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