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2018年3月14日 (水)

中原中也・詩の宝島/ダダ脱皮の道/「ノート1924」の背景

「ノート1924」は
使われているノートに1924の印字があることから
編者がつけた仮称です。

角川全集の初期から呼ばれていたか
もっと前からの習慣か
仮称が定着しました。

1924とあるから
中に書かれたものが
すべて1924年に記されたものかというと
そうではありません。

ノートの終りの部分に
昭和2、3年頃に計画された
第1詩集のための草稿と推定されている詩篇が存在します。

この草稿のうちわけは
「浮浪歌」
「涙語」
「無題(ああ雲はさかしらに笑い)」
(秋の日をあゆみ疲れて)
(かつては私も)
「秋の日」
「無題(緋のいろに心はなごみ)」
――の7篇です。
(「 」は清書稿、( )は下書き稿。)

これら7篇が
ダダイズムの詩を脱皮した詩風を示しているのは
まずは富永太郎との交友関係の影響と見なされていることですが
これは富永が作った詩の影響であるばかりではなく
富永が小林秀雄とともに熱中していたランボーの存在がありました。

背景にランボーという事件があったのですが
詩境や詩風の変化は
そればかりでなく
富永太郎の死や
長谷川泰子との離別(11月の事件)や
小林秀雄、長谷川泰子との「奇怪な三角関係」(小林秀雄)の進行にも促されました。



7篇の中の1篇を読んでおきましょう。



涙 語

まずいビフテキ
寒い夜
澱粉(でんぷん)過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!

あれあの星というものは
地球と人との様(さま)により
新古自在(しんこじざい)に見えるもの

とおい昔の星だって
いまの私になじめばよい

私の意志の尽きるまで
あれはああして待ってるつもり

私はそれをよく知ってるが
遂々のとこははむかっても
ここのところを親しめば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもがそこですまされるというもの

この生活の肩掛(かたかけ)や
この生活の相談が
みんな私に叛(そむ)きます
なんと藁紙(わらがみ)の熟考よ

私はそれを悲しみます
それでも明日は元気です

(新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

今回はここまで。

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