中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その11>/富永太郎「遺産配分書」
それに、僕は富永が既にランボオの“Solde”(見切物)に倣(なら)って、美しい「遺産配分
書」を書いていた事を知らなかった。
――と小林秀雄の告白は続きます。
(「ランボオⅢ」より。)
◇
遺産配分書
わが女王へ。決して穢れなかった私の魂よりも、更に清浄な私の両眼の真珠を。おんみ
の不思議な夜宴の觴に投げ入れられようために。
善意ある港の朝の微風へ。昨夜の酒に濡れた柔かい私の髪を。――蝋燭を消せば、海
の旗、陸の旗。人間は悩まないように造られてある。
わが友M***へ。君がしばしば快く客となってくれた私の Sabbat の洞穴の記念に、一
本の蜥蜴の脚を、すなわち蠢めく私の小指を。――君の安らかならんことを。
今日もまた、陽(ひ)は倦怠の頂点を燃やす。
シェヘラザードへ。鳥肌よりもみじめな一夜分の私の歴史を。
S港の足蹇(あしなえ)へ。私の両脚を。君の両腕を断って、肩からこれを生やしたまえ。
私の血は想像し得られる限り不純だから、もしそれが新月の夜ならば、君は壁を攀じて天
に昇ることが出来る。
***嬢へ。私の悲しみを。
売笑婦T***へ。おまえがどれほど笑いを愛する被造物であるかを確かめるために、
両乳房(ちち)の間に蠍のような接吻を。
巌頭に立って黄銅のホルンを吹く者へ。私の夢を。――紫の雨、螢光する泥の大陸。
――ギオロンは夜鳥の夢に花を咲かす。
母上へ。私の骸は、やっぱりあなたの豚小屋へ返す。幼年時を被うかずかずの抱擁(だ
きしめ)の、沁み入るような記憶と共に。
泡立つ春へ。pang ! pang !
(「富永太郎詩集」より。新かな・新漢字に変えました。編者。)
◇
小林秀雄は
瀕死の病床にあった富永太郎を見舞った時には知らなかった
この詩を後になって読んで
ランボーの匂いを嗅ぎとったようです。
◇
年譜によれば
「遺産配分書」は1925年(大正14年)4月ごろの制作と推定されています。
中原中也が
長谷川泰子とともに上京したのが3月。
富永太郎は
4月上旬に転地療養先の藤沢から
代々木富ヶ谷の自宅へ帰ります。
この8か月後には亡くなります。
「Au Rimbaud」「ランボオへ」は7月に書かれ
これが最終作と考えられていますから
その少し前に「遺産配分書」は書かれたことになります。
この3作ともに
ランボーをモチーフにしていることになります。
◇
東京の街を
富永太郎、小林秀雄、中原中也の3人が
歩いたことはあったのでしょうか。
◇
今回はここまで。
« 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その10>/「Au Rimbaud」続 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その12>/富永太郎の死、その前後 »
「064面白い!中也の日本語」カテゴリの記事
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その3(2018.08.11)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空(2018.06.28)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」から「夏」へ(2018.06.27)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「失せし希望」の空(2018.06.24)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空(2018.06.23)
« 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その10>/「Au Rimbaud」続 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その12>/富永太郎の死、その前後 »
コメント