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2018年4月25日 (水)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その14/「地獄の季節」の「別れ」

 

 

富永太郎が「酔いどれ船」をフランス語で自分のノートに筆写したものを

中也に読み聞かせしていた丁度そのころ

東京・神田の古本店で

小林秀雄はメルキュール版「地獄の季節」と出会い

衝撃を受けます。

 

その衝撃を伝える相手は

富永太郎のほかにありませんでした。

 

 

小林秀雄が富永太郎に送ったのは

「地獄の季節」最終章「別れ」でした。

 

 

別れ

 

 もう秋か。――それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発

見に心ざす身ではないのか、――季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。

 

秋だ。俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜(ともづな)を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥

のしみついた空を負う巨きな街を目指して、舳先をまわす。ああ、腐った襤褸(らんる)、雨

にうたれたパン、泥酔よ、俺を磔刑にした幾千の愛欲よ。さてこそ、“遂には審かれねばな

らぬ”幾百万の魂と死屍とを啖ふこの女王蝙蝠(こうもり)の死ぬときはないだろう。

 

皮膚は泥と鼠疫(ペスト)に蝕まれ、蛆虫は一面に頭髪や腋の下を這い、大きい奴は心臓

に這い込み、年も情も弁えぬ、見知らぬ人の直中(ただなか)に、横わる俺の姿が又見え

る、……俺はそうして死んでいたかもしれない、……ああ、むごたらしい事を考える。俺は

悲惨を憎悪する。

 

冬が慰安の季節なら、俺には冬がこわいのだ。

 

(文春文庫「考えるヒント4 ランボオ・中原中也」所収「地獄の季節」より。新かなに変えま

した。傍点は” “で示し、改行を加えてあります。編者。)

 

 

「別れ」は

この3倍強の量の散文詩ですが

小林が送ったのは

このあたりまでの冒頭部分ではなかったでしょうか。

 

富永は

それを大書して自室の壁に掲げていたと

大岡昇平は記しています。

 

それは

京都の下宿でのことだったのでしょうか

はっきり記されていません。

 

 

冬が慰安の季節なら、俺には冬がこわいのだ。

――という詩行が

結核菌に冒される富永太郎を

どれだけ励まし、心の救済になったかを

想像することができます。

 

やがて、彼の詩の衰弱と倦怠とが、ランボオの生気で染色されるのを、僕は見て取った

(以下略)

――と小林が書いたのはこのことでした。

 

 

富永太郎が「酔いどれ船」の原文を筆写し

スラッシュ(/)入りで読んで聞かせたのを

中原中也は目を輝かせて

聞き入っている様子が目に見えるようです。

 

富永太郎が鼻濁音まじりのフランス語で

その「酔いどれ船」を朗読している姿も

彷彿(ほうふつ)としてきますよね。

 

ベルレーヌが描いた

パイプをくわえてポケットに手を突っ込んで歩いている

流竄天使のようなランボーに

富永太郎は似ていると

小林は他のところで書いているのですが(「ランボオⅡ」)

京都の中也が

そのようないでたちの富永太郎に感化されるのも

手に取るように見えるようです。

 

 

「酔いどれ船」を通じた交流が

富永太郎と中原中也の間で頂点に達している頃に

文学との訣別を告げる「地獄の季節」を

小林秀雄は富永太郎に送ったのでした。

 

 

今回はここまで。

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