中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その15>/小林秀雄と長谷川泰子の恋愛
富永太郎の臨終から絶命、
葬儀そしてその後の経過は
富永の2高からの友人、正岡忠三郎がつけていた日記やメモに
詳細に記録されました。
大岡昇平の「朝の歌」中の「七」は
正岡が残した記録を引用しての克明な終焉記になっています。
正岡は
富永太郎が息を引き取った時にも
富永家にあり
富永の言葉に耳を傾けながら
家族や看護師をサポートしました。
◇
正岡の記録の克明さとは異なる距離感で書かれた
「新編中原中也全集」の年譜は
中原中也の行動記録ですから
一歩を引いた広角度から
富永太郎の死の前後を記録します。
中原中也の交友関係の記録の中に
富永太郎の死は位置づけられます。
◇
10月8日 小林秀雄、ひとりで伊豆大島に出発(*42)。
10月23日 この日付の富永太郎書簡に中也への言及がある。「ダゝさんだけは相変わら
ずずゐぶんちょいちょい来るが、これとてもこの頃では一向有難からぬことになっている」(*43)。
このころ、小林秀雄から絶交を言い渡される(*44)。
11月4日 このころ富永太郎、小林秀雄と長谷川泰子の恋愛を知る。この日付の小林宛
書簡に、中也との絶交について「当り前のことだ」と記す(*45)。
(「新編中原中也全集」別巻(上)より。*42、*43、*44、*45の注釈は省略。)
◇
正岡忠三郎は、年譜が記す11月4日には、まだ京都にいます。
小林秀雄と長谷川泰子の恋愛の進行が
富永太郎に伝わった経緯が
迫りくる富永太郎の死の記録の前に置かれています。
中原中也は
小林秀雄と長谷川泰子の恋愛の進行を
知っていません。
◇
11月6日 正岡忠三郎、前日の富永太郎危篤の電報を受けて上京。富永、自分と正岡の
面会を中也に伝えないよう筆談で正岡に伝える。8日、中也が悪く変わったこと、概念的な
ことばかりいっていることなどを正岡に話す。
12日午後1時2分、富永死去。24歳。正岡、冨倉徳次郎、村井康男が看取る。夕方、富
永の死顔の写真を撮影(*46)
(この部分、改行を加えました。*46の注釈は省略。編者。)
◇
中原中也が、富永太郎の死をどのようにして知ったのか
年譜は記していませんが
死の翌13日夕方、富永家を訪れます。
◇
今回はここまで。
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