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2018年4月 5日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その5>/富永太郎と小林秀雄

 

 

富永太郎の「秋の悲歎」は

1924年(大正13年)末、

所属していた同人誌「山繭」創刊号に発表されました。

 

詩人が詩を発表したのは

これが初めてのことでした。

 

 

この詩には、

ほっそりとした白陶土製のかの女の頸

オールドローズのおかっぱさん

立ち去ったかの女の残像

天の方に立ち騰るかの女の胸の襞(ひだ)

夢のように萎れたかの女の肩の襞

――などと繰り返し繰り返しかの女が現れますが

このかの女が

詩人20歳の年、1921年(大正10年)の

失恋の相手であったH・S夫人であることは紛(まぎ)れもないことでしょう。

 

仙台の二高(現在の東北大学)を中退するきっかけになった

人妻との恋愛事件を

3年後の1924年(大正13年)の

京都滞在後の東京で発表したことになりますが

これは事件のほとぼりが未だ冷めていないことを物語るでしょうか。

 

それとも逆に

事件の沈静を物語るのでしょうか。

 

 

一つの詩の読まれ方はさまざまですが

制作者本人がこれを、

 

ははあランボオばりだなと言ってもいい。とにかく日本流行の「情調派」でないというレッテ

ルをつけてくれたら本望だ。出来不出来は問わず。

――と僚友、小林秀雄に書き送っているのは

この詩の読みへの有力なヒントになることでしょう。

 

 

詩は、しかし、

制作者本人の意図通りに読まれるとは限りませんし

本人の意図通りに詩が作られていないこともあります。

 

自ら作った詩に自らコメントしたとしても

そのコメント自体が詩とは別物であるという

断絶を超えるものはありません。

 

この断絶が

作品(詩)の独立性を保証するものです。

 

 

富永太郎は自作詩「秋の悲歎」に、

1、 この詩は、ランボーばりと言ってくれてもよい。

2、 この詩は、日本流行の情調派の詩ではない、と読んでくれたら本望だ。

3、 この詩の、出来不出来は問わないでほしい。

――とコメントしたのですが

これは願望です。

 

願望された小林秀雄が

詩をどのように読むかを制限するものではありませんが

小林がどのように読んだかの記録は

残っていないようです。

 

代わりにというか

この詩と直接に呼応するものではありませんが

ランボーに関して

独創的な記述を残しました。

 

 

小林秀雄が

ランボーという事件を

初めて記述し発表したのは

東京帝大仏文科に在学中の大正15年(1926年)10月でした。

それが

「人生斫断家アルチュル・ランボオ」でした。



「斫」は「しゃく」と音読みし

「斫る」は「はつ・る」と訓読みします。

 

「斫断家(しゃくだんか)」は

粉砕する人、破壊者という意味になります。

 

 

今回はここまで。

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