中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その7>/「飢餓の饗宴」
◇
飢餓の饗宴
俺の飢(うえ)よ、アヌ、アヌ、
驢馬に乗って 逃げろ。
俺に食気(くいけ)が あるとしたら、
食いたいものは、土と石。
ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、空気を食おう、
岩を、火を、鉄を。
俺の飢(うえ)よ、廻れ、去れ。
音(おん)の平原!
旋花(ひるがお)のはしゃいだ
毒を吸え。
貧者の砕いた 礫を啖え、
教会堂の 古びた石を、
洪水の子なる 磧(かわら)の石を、
くすんだ谷に 臥ている麺麭(ぱん)を。
俺の飢は、黒い空気のどんづまり、
鳴り響く蒼空!
――俺を牽くのは 胃の腑ばかり、
それが不幸だ。
地の上に 葉が現われた。
饐えた果実の 肉へ行こう。
畝(うね)の胸で 俺が摘むのは、
野蒿苣(のぢしゃ)に菫。
俺の餓(うえ)よ、アヌ、アヌ、
驢馬に乗って 逃げろ。
(現代詩文庫「富永太郎詩集」より。新かな・新漢字に改めました。編者。)
◇
これが富永太郎が
1924年(大正13年)に発表した
ランボーの「飢餓の饗宴」Fêtes de la Faimの翻訳です。
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小林秀雄の翻訳は
「飢」のタイトルで
1930年(昭和5年)発行の「地獄の季節」(白水社)に初出しました。
◇
飢
俺に食いけがあるならば
先ず石くれか土くれか。
毎朝、俺が食うものは
空気に岩に炭に鉄。
俺の餓鬼奴ら、横を向け、
糠の牧場で腹肥やせ。
昼顔の陽気な毒を吸え。
出水の後の河原石、
踏み砕かれた砂利を食え、
教会堂の朽ち石を、
みじめな窪地に播かれたパンを。
(岩波文庫「地獄の季節」より。)
◇
中原中也の訳は
1936年(昭和11年)6月から1937年8月の間に
制作されたと推定されています。
この訳は
1934年から1935年の間に作られたものを
推敲したものという推測もあります。
◇
飢餓の祭り
俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
驢馬(ろば)に乗って失せろ。
俺に食慾(くいけ)があるとしてもだ
土や礫(いし)に対してくらいだ。
Dinn! dinn! dinn! dinn! 空気を食おう、
岩を、炭を、鉄を食おう。
飢餓よ、あっちけ。草をやれ、
音(おん)の牧場に!
昼顔の、愉快な毒でも
吸うがいい。
乞食が砕いた礫(いし)でも啖(くら)え、
教会堂の古びた石でも、
洪水の子の磧の石でも、
寒い谷間の麺麭でも啖え!
飢餓とはかい、黒い空気のどんづまり、
空鳴り渡る鐘の音。
――俺の袖引く胃の腑こそ、
それこそ不幸というものさ。
土から葉っぱが現れた。
熟れた果肉にありつこう。
畑に俺が摘むものは
野蒿苣(のぢしゃ)に菫(すみれ)だ。
俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
驢馬に乗って失せろ。
(「新編中原中也全集」第3巻・翻訳より。新かな・新漢字に変えました。編者。)
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今回はここまで。
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