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2018年4月 6日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その6>/富永太郎「橋の上の自画像」




小林秀雄への手紙に同封された「秋の悲歎」は

どのように読まれたのでしょうか。

 

小林の所感は残されていないようですが

否定的なものではなく

好感を表明されたことがあったに違いありません。

 

それで富永太郎は

これを公表する決意を固めたものと想像できます。

 

「山繭」創刊号(1924年末)には

「秋の悲歎」とともに「橋の上の自画像」が発表されました。

 

 

橋の上の自画像

 

今宵私のパイプは橋の上で

狂暴に煙を上昇させる。

 

今宵あれらの水びたしの荷足(にたり)は

すべて昇天しなければならぬ、

頬被りした船頭たちを載せて。

 

電車らは花車(だし)の亡霊のように

音もなく夜(よ)の中に拡散し遂げる。

(靴穿きで木橋(もくきょう)を踏む淋しさ!)

 

私は明滅する「仁丹」の広告塔を憎む。

またすべての詞華集(アントロジー)とカルピスソーダ水とを嫌う。

 

哀れな欲望過多症患者が

人類撲滅の大志を抱いて、

最後を遂げるに間近い夜(よる)だ。

 

蛾よ、蛾よ、

ガードの鉄柱にとまって、震えて、

夥しく産卵して死ぬべし、死ぬべし。

 

咲き出でた交番の赤ランプは

おまえの看護(みとり)には過ぎたるものだ。

 

(現代詩文庫「富永太郎詩集」より。新かな・新漢字に変え、ルビは( )で示しました。編者。)

 

 

この詩に出てくる「仁丹」の広告塔とは

渋谷・宮益坂を上り詰めたところにあったビルディングのことでしょう。

 

この詩を作った頃

詩人の実家は渋谷区富ヶ谷にありましたから

渋谷の街並は馴染みのものでした。

 

北村太郎が「富永太郎詩集」の解説で書いているように

詩人はリアリストの側面を持っていました。

 

勿論、詩は喩(メタファー)ですから

その実物を直接に歌っているものではありません。

詩は

仁丹の広告塔よりも

夜の街の蛾に親しいのですから。

 

 

「山繭」創刊号へ詩を発表した頃

富永太郎は

ランボーの「饑餓の饗宴」を翻訳しています。

 

 

今回はここまで。

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