中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その3>/小林秀雄への波状訪問
4月3日付け富永太郎宛の葉書のはじめに
近々多分小林と二人で行きます。
――とあり
相当ヘコタれたから昨晩小林所へ遅くまでゐたんだがまた今這入られぬ試験場より小林所へ行く、今電車のなか。
――と中ごろにあり
中也の小林秀雄への波状訪問を知ることができます。
上京したのが3月10日でした。
昨晩とある4月2日が
初対面の日らしいのですから
1か月に満たず
熱心に小林を訪ねたことがわかります。
◇
この手紙をさらにじっくり読むと――。
早大の方が面白くないから日大にも願書出して今試ケン場行つたが三十分ばかり遅刻し
て入れて呉れない。
これでもうおしまひ(だらう)といふものさ。
――とあるのは
日本大学予科へ入学願書を出し
試験に行ったが30分遅刻したため試験場に入ることができない。
これでほぼ日大への入学はおしまいになるだろうさ、
――という意味のことが書かれてあることがわかります。
上京した目的であったはずの入学試験を
遅刻してふいにしてしまった事情が見えませんが、
相当ヘコタれたから昨晩小林所へ遅くまでゐたんだがまた今這入られぬ試験場より小林
所へ行く、今電車のなか。
――とあるのは、
相当落ち込んだいきおいで
昨晩、小林秀雄の所へ行って遅くまで滞在し
(今日また試験があったのでしょうか)
今、入れてもらえなかった試験場から
また小林の所へ行く電車の中なのだよ
――と富永太郎に報告しているのです。
今試ケン場行つたが、の今と、
今這入られぬ試験場、の今が
同じ今なのか混乱しますが
試験場への入場を許可されず
受験は失敗に終わったことを
富永太郎に報告する関係にあったことに
目が引かれます。
遅刻して入学試験に失敗するというのは
相当なヘマですから
それを打ち明ける相手で
富永太郎はあり、小林秀雄はあったわけです。
◇
大学に通う計画を許可してもらうために
中也はいったん帰省し
両親に金銭援助を申し込みます。
この帰省の資金を持たなかった中也に
20円を貸したのは小林秀雄でした。
中也は
翌1926年4月に同じ日本大学予科に
1年間遅れで入学します。
◇
今回はここまで。
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