中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その2>/富永太郎への手紙
中原中也は
大正14年(1925年)3月10日に
長谷川泰子とともに上京しました。
早稲田鶴巻町414にあった旅館早成館に数日間止宿した後
戸塚町大字源兵衛195林方に下宿します。
ここに住むことにしたのは
早稲田大学の予科へ通う意志があったためでした。
◇
中也が小林秀雄と初めて会ったのは
4月2日でした。
小林は初対面の中也の印象を
次のように記します。
◇
私はNに対して初対面のときから、魅力と嫌悪とを同時に感じた。
Nは確かに私の持っていないものを持っていた。ダダイスト風な、私と正反対の虚無を持っていた。
しかし嫌悪はどこから来るのか解らなかった。彼は自分でそれを早熟の不潔さなのだと説明した。
(大岡昇平「朝の歌」より、とある「新編中原中也全集」第2巻解題篇の引用の孫引きです。
改行を加えました。編者。)
◇
この、小林秀雄と初めて会った日の翌日の
中也発富永太郎宛ての書簡が残っています。
さしずめ現代のSNSといった書きぶりに
思わず笑います。
富永太郎は
藤沢の片瀬海岸に転地療養中でした。
この頃は
まだ元気が残っていたのでしょう。
◇
4月3日 富永太郎宛 封緘葉書
表 神奈川県片瀬 富永太郎様
裏 4月3日 市外戸塚源兵衛195 林方 冲哉
お手紙ありがたう
近々多分小林と二人で行きます。
先達から度々(二度だ)手紙を書いたがみんな出したか如何か知らない、戸籍謄本も此
の間からポケツトに入れて歩く中に捨てちやつたし、
早大の方が面白くないから日大にも願書出して今試ケン場行つたが三十分ばかり遅刻し
て入れて呉れない。
これでもうおしまひ(だらう)といふものさ。
相当ヘコタれたから昨晩小林所へ遅くまでゐたんだがまた今這入られぬ試験場より小林
所へ行く、今電車のなか。隣席の御婦人が俺の書くのを見たがってゐるから、「サアサア
御覧なさいよ」といつてやつた。――とかう書くのさへ奴は見てるんだ。
「字がお上手でございますわ。」――ホラ、今はこんなに云つたよ。――と書くのをみてい
よいよ吹き出しやがつた。
「随分な方ね」
「五月蠅いッ!」 増田の妻君に何処か似てる奴
(「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」より。)
◇
今回はここまで。
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