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2018年5月 1日 (火)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その16>/富永太郎納棺の夜の詩人

 

 

中原中也が富永太郎の死を知ったのは

どのような経緯でしたでしょうか。

 

年譜ではわかりません。

 

年譜でわかるのは

富永太郎が中原中也の訪問を忌避していた意図を

正岡忠三郎宛の書簡に記したり

筆談で伝えたり

小林秀雄が中也を絶交したことを記した書簡(10月23日付)や

富永の投函されなかった書簡(11月4日付)に

小林と泰子の恋愛への共感の気持ちが表明されていることを

案内しているくらいです。

 

11月12日午後1時2分、富永死去。

――とあるのは

正岡忠三郎日記(または手記)の克明な記録に拠るものでしょう。

 

中原中也は

富永の死の翌日に

富永家を訪れます。

 

 

11月13日 昼、富永太郎納棺。夕方、中也、富永宅を訪れる。

 

「dadacin 青いかほをして来る。二晩ねなかつたと」(*47)。

 

村井康男を知ったのは、このときか(*48)。

 

富永の遺稿を見ながら徹夜。

 

14日午後2時、出棺。代々幡火葬場へ向かう。

 

午後2時に辞した後、正岡忠三郎、冨倉徳次郎、村井康男、斎藤寅郎は泉橋病院に入院

中の小林秀雄を訪ねる。病室で長谷川泰子と行き合う(*49)。

 

(「新編中原中也全集」別巻(上)所収「中原中也年譜」より。改行を加えてあります。脚注

*47、48、49は省略しました。編者。)

 

 

小林秀雄と長谷川泰子の恋愛の進行は

この時、すでに誰かが中原中也に知らせていたでしょうか。

 

小林秀雄自らが

なんらかの話を中也に伝えた後だったのでしょうか。

 

それとも

ほかの経路があったのでしょうか。

 

富永太郎の忌避の感情は

富永の死によって

抑制され表面に現われ難い状況であったのかもしれませんが

中也がそれを感知しなかったはずもありません。

 

 

詩人は

火葬場へは行きませんでした。

 

富永の遺稿を見ながら徹夜。

――とある年譜の1行が

詩人、中原中也の全存在を物語るようです。

 

 

今回はここまで。

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