中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その16>/富永太郎納棺の夜の詩人
中原中也が富永太郎の死を知ったのは
どのような経緯でしたでしょうか。
年譜ではわかりません。
年譜でわかるのは
富永太郎が中原中也の訪問を忌避していた意図を
正岡忠三郎宛の書簡に記したり
筆談で伝えたり
小林秀雄が中也を絶交したことを記した書簡(10月23日付)や
富永の投函されなかった書簡(11月4日付)に
小林と泰子の恋愛への共感の気持ちが表明されていることを
案内しているくらいです。
11月12日午後1時2分、富永死去。
――とあるのは
正岡忠三郎日記(または手記)の克明な記録に拠るものでしょう。
中原中也は
富永の死の翌日に
富永家を訪れます。
◇
11月13日 昼、富永太郎納棺。夕方、中也、富永宅を訪れる。
「dadacin 青いかほをして来る。二晩ねなかつたと」(*47)。
村井康男を知ったのは、このときか(*48)。
富永の遺稿を見ながら徹夜。
14日午後2時、出棺。代々幡火葬場へ向かう。
午後2時に辞した後、正岡忠三郎、冨倉徳次郎、村井康男、斎藤寅郎は泉橋病院に入院
中の小林秀雄を訪ねる。病室で長谷川泰子と行き合う(*49)。
(「新編中原中也全集」別巻(上)所収「中原中也年譜」より。改行を加えてあります。脚注
*47、48、49は省略しました。編者。)
◇
小林秀雄と長谷川泰子の恋愛の進行は
この時、すでに誰かが中原中也に知らせていたでしょうか。
小林秀雄自らが
なんらかの話を中也に伝えた後だったのでしょうか。
それとも
ほかの経路があったのでしょうか。
富永太郎の忌避の感情は
富永の死によって
抑制され表面に現われ難い状況であったのかもしれませんが
中也がそれを感知しなかったはずもありません。
◇
詩人は
火葬場へは行きませんでした。
富永の遺稿を見ながら徹夜。
――とある年譜の1行が
詩人、中原中也の全存在を物語るようです。
◇
今回はここまで。
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