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2018年5月 4日 (金)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その17>/富永太郎の遺稿「焦燥」

 

 

富永太郎が死んで後

遺稿集の出版の話が持ち上がり

村井康男を中心とする編集作業が動き出します。

 

 

11月16日 富永家宛に書簡6。富永太郎の作品について報ずる。遺稿詩集出版のため。

 

11月下旬(推定) 富永家宛に書簡7。富永の詩AU RIMBAUDの翻訳「ランボオへ(未定稿)」を筆写して送る。

 

12月9日 この日付の村井康男書簡に中也への言及がある。富永太郎遺稿詩集出版相談会の日程について(*53)。

 

12月21日 富永宅で行われた富永太郎遺稿詩集の出版相談会に参加(*54)。

 

 

富永太郎の死後の中原中也について

年譜が主に記すのは

その遺稿集出版の準備に参加する姿です。

 

この間、中原中也と長谷川泰子は離別。

 

泰子は小林秀雄と杉並町天沼で暮らしはじめ

中也は中野町桃園へ転居したことが

11月下旬の項に記されます。

 

 

11月16日は

富永太郎の死後4日目になります。

 

この日付で中也が富永家に出した書簡に

韻文中最も立派なもの

――と中也が記した詩が「焦燥」です。

 

 

焦燥

 

母親は煎薬を煎じに行った

枯れた葦の葉が短かいので。

ひかりが掛布の皺を打ったとき

寝台はあまりに金の唸きであった

寝台は

いきれたつ犬の巣箱の罪をのり超え

大空の堅い眼の下に

幅びろの青葉をあつめ

捨てられた藁の熱を吸い

たちのぼる巷の中に

青ぐろい額の上に

むらがる蠅のうなりの中に

寝台はのど渇き

求めたのに求めたのに

枯れた葦の葉が短かいので

母親は煎薬を煎じに行った。

 

(「富永太郎詩集」より。新かな・新漢字に変えました。編者。)

 

 

この詩は

「遺産配分書」と同じ頃に書かれました。

 

結核菌に蝕まれる身体を

励ますかのように

ランボーの翻訳にも取り組んだ4月頃です。

 

「遺産分配書」を小林秀雄が押し

「焦燥」を中也が押し

いずれもランボーの影が落ちる詩であるところに引かれます。

 

 

12月21日の出版相談会には

小林秀雄も参加しましたから

ここで2人は顔を合わせています。

 

 

今回はここまで。

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