中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その17>/富永太郎の遺稿「焦燥」
富永太郎が死んで後
遺稿集の出版の話が持ち上がり
村井康男を中心とする編集作業が動き出します。
◇
11月16日 富永家宛に書簡6。富永太郎の作品について報ずる。遺稿詩集出版のため。
11月下旬(推定) 富永家宛に書簡7。富永の詩AU RIMBAUDの翻訳「ランボオへ(未定稿)」を筆写して送る。
12月9日 この日付の村井康男書簡に中也への言及がある。富永太郎遺稿詩集出版相談会の日程について(*53)。
12月21日 富永宅で行われた富永太郎遺稿詩集の出版相談会に参加(*54)。
◇
富永太郎の死後の中原中也について
年譜が主に記すのは
その遺稿集出版の準備に参加する姿です。
この間、中原中也と長谷川泰子は離別。
泰子は小林秀雄と杉並町天沼で暮らしはじめ
中也は中野町桃園へ転居したことが
11月下旬の項に記されます。
◇
11月16日は
富永太郎の死後4日目になります。
この日付で中也が富永家に出した書簡に
韻文中最も立派なもの
――と中也が記した詩が「焦燥」です。
◇
焦燥
母親は煎薬を煎じに行った
枯れた葦の葉が短かいので。
ひかりが掛布の皺を打ったとき
寝台はあまりに金の唸きであった
寝台は
いきれたつ犬の巣箱の罪をのり超え
大空の堅い眼の下に
幅びろの青葉をあつめ
捨てられた藁の熱を吸い
たちのぼる巷の中に
青ぐろい額の上に
むらがる蠅のうなりの中に
寝台はのど渇き
求めたのに求めたのに
枯れた葦の葉が短かいので
母親は煎薬を煎じに行った。
(「富永太郎詩集」より。新かな・新漢字に変えました。編者。)
◇
この詩は
「遺産配分書」と同じ頃に書かれました。
結核菌に蝕まれる身体を
励ますかのように
ランボーの翻訳にも取り組んだ4月頃です。
「遺産分配書」を小林秀雄が押し
「焦燥」を中也が押し
いずれもランボーの影が落ちる詩であるところに引かれます。
◇
12月21日の出版相談会には
小林秀雄も参加しましたから
ここで2人は顔を合わせています。
◇
今回はここまで。
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