中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その19>/小林秀雄の恋心
小林秀雄が長谷川泰子との恋愛のさなかに
書き残した手記があります。
現在ではかなり有名になったこの「手記断片」は
大岡昇平が「朝の歌」(1958年)中で公開しました。
「新編中原中也全集」でも
「別巻」(上)に資料として収録されました。
9月7日(1925年)という日付をもつ
この手記を読みましょう。
◇
Tを見舞った帰り、Nと青山の通りを歩いた。四時、黄色い太陽の光線が塵汚とペンキの色彩と雑音
の都会をジリジリ照りつけた。6丁目の資生堂に2人は腰を下ろした。2人ともひどく疲れていた。軍歌
を呶鳴り乍ら兵隊の列が、褐色の塊を作って動いて行く。
――という書き出しに現われるTは、富永太郎、
Nは中原中也です。(新かなに変えました。編者。)
小林秀雄と中原中也は
2人して富永太郎を見舞ったことがあったのでしょうか。
そう読めなくはないし
小林が単独で富永を見舞った後で2人は落ち合ったということも考えられます。
この手記が事実の記録ではなく
小説の下書のような虚構を含むものなのかもしれません。
◇
「なんだい、あの色は」
Nは行列を見ながら、いまいましそうに言った。
「保護色さ、水筒までおんなじ色で塗られてやがる」
2人は黙った。私はY子のことを考えた。兵隊の列は続く。
「見ろ、あれだって陶酔の一形式には違いない」
「きまっているさ、陶酔しない奴なんて一人も居るもんか」
「何奴も此奴も、夏なんてものを知りゃしないんだ。暑けりゃ裸になるという事だけ知ってるんだ」
「もうよせ」
◇
会話の最中に
Y子のことをしきりに考えている私――。
このあたりで俄然この手記は
内面の緊張にいっそうフォーカスしていくことに
気づかされます。
◇
私は苛々して来た。あらゆるものに対して、それが如何に美であるかとうよりも、如何に
醜であるか。如何に真であるかという事より、嘘であるかという事の方が、先ず常に問題に
なる頭が、こんな日には、特につらかった。然し、Nと会ってY子の事許り考えている自分に
とっては、(Nが)こういう性格で、苛々した言葉ばかりはく事が、自分の心を見破られない
という都合のよさがあった。然しそれを意識すると、如何にも苦しくなった。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その18>/小林秀雄の絶交 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その20>/小林秀雄・恋の頂点 »
「064面白い!中也の日本語」カテゴリの記事
- 中原中也・詩の宝島/ベルレーヌーの足跡(あしあと)/「ポーヴル・レリアン」その3(2018.08.11)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「心象」の空(2018.06.28)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「少年時」から「夏」へ(2018.06.27)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「失せし希望」の空(2018.06.24)
- 中原中也・詩の宝島/ランボーの足跡(あしあと)/「木蔭」の空(2018.06.23)
« 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その18>/小林秀雄の絶交 | トップページ | 中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その20>/小林秀雄・恋の頂点 »
コメント