中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その20>/小林秀雄・恋の頂点
私はNに対して初対面の時から、魅力と嫌悪とを同時に感じた。
――と小林秀雄の手記断片は続きます。
富永太郎が中原中也について
ダダイストとのdégoutに満ちたamitiéに淫して40日を徒費した
――と村井康男に書き送ったのが
1924年(大正13年)11月のことでした。
それから1年も経っていません。
小林秀雄も富永太郎も
中也に対して
両極に分裂した感覚を抱いたところで
同じでした。
◇
Nは確かに私の持っていないものを持っていた。ダダイスト風な、私と正反対の虚無を持っ
ていた。しかし嫌悪はどこから来るのか解らなかった。彼はそれを早熟の不潔さなのだと
説明した。
(「新編中原中也全集」別巻(上)より。新かなに変えました。編者。)
◇
1925年9月7日の日付をもつこの手記は
日記か書簡かの下書として書かれたものと推定されています。
小林秀雄は昭和3年(1928年)5月、
泰子との同棲生活に終止符を打ち
泰子から逃げる格好で関西へ下りますが
この手記を泰子が保管していました。
泰子が保管していたものが
戦後、昭和22年(1947年)に大岡昇平の手に渡り
やがて「朝の歌」で公開されます。
◇
この手記断片とともに
日付不明の断片があります。
9月7日の手記を
いったん中断してから再び書かれたものか
同日に書かれたものか不明ですが
小林秀雄の恋は絶頂に達しているかのようです。
◇
私は自分が痴情の頂点にあると思った。
こんなことがあった。Nは私に、君は、この辺で物を考えると言って、手を眼の下にやった。
そして俺はこの辺で考えていると額に手をやった。傍らでY子が、あたしはこの辺だわと白
魚のような指を揃えて頭の頂点にのせた。私は彼女がいつか、いんげん豆が椅子を降り
て来る夢を見たと話したことを思い出した。
(同上。)
◇
小林と中也と泰子の3人が
親し気に語らっている情景が彷彿(ほうふつ)として来ますが
この時、3人は3様の思いを心の中に
秘めていたということになり
そのことを知りながら小林秀雄がこれを記しているところに
小説的な面白さみたいなものがあります。
やはりここには
虚構(フィクション)への意志が
あったのでしょうか。
◇
ここに長谷川泰子が現われ
2人の男にジョークで伍しているのも
自然ですしリアルです。
◇
今回はここまで。
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