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2018年5月10日 (木)

中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その21>/長谷川泰子のまなざし

 

 

小林秀雄と中原中也と長谷川泰子の3人が

街を歩きながら

書生っぽいジョークを言い合っている

1925年9月の青山通り。

 

泰子の心は

すでに小林に傾いていました。

 

この場面に通じる

泰子の回想があります。

 

 

 富永さんが亡くなったのは、大正14年の11月でした。電報で中原に知らせて来ました。

中原は「富永が亡くなった」と私にいいました。それから中原がどうしたか、覚えておりませ

ん。富永さんも死んじゃったかと思いながらも、私の人生問題のほうに頭がいっぱいでし

た。もうあのころは小林のところへ行くことを、内心きめてました。

 

 

作家、村上護による聞き書き「中原中也との愛 ゆきてかへらぬ」(角川ソフィア文庫)で

長谷川泰子は小林との出会いと別れの経緯を

走り抜けるように語っています。

 

富永太郎が死んだころに

泰子が人生問題で頭がいっぱいだったというのは

小林秀雄が

自分が人生の入口に立っていた事を記すのとパラレルです。

 

泰子のこの回想の続きに語られるエピソードに

泰子という人間の一側面が浮かび上がります。

 

一側面という以上に

泰子が泰子自身を捉えた全体像が浮き彫りになります。

 

中也も現れて

「永遠の三角関係(エターナル・トライアングル)」みたいな光景が出現しますが

おっとりした口調の中に

繊細な泰子その人が出現します。

 

 

 私はのちに潔癖症というのに悩まされるんですが、考えてみると高円寺のころから、その

兆候はありました。高円寺の家に梅の木があって、その梅の実が2階の屋根にポトッ、ポ

トッと落ちるんです。それがはじめは何の音だかわからなく、屋根を人が歩いているのかと

思いました。恐ろしくって、しばらくは息をころしておりました。だけど人ではないらしいの

で、外に出て家のまわりをめぐってみると、梅の実が落ちているんです。それで安心しまし

たが、私は気になりだすと、どうにも気分の転換ができなくなるんです。

 

(同上書。)

 

 

中也と泰子の会話が

この頃の2人の絡まりあった気持ちを象徴しています。

 

 

中原も夜遅く帰って来て、やっぱりその音が気になりだしたんです。起き出して「あれは泥

棒だ」といいました。

 

「あれは梅の実が屋根に落ちている音なのよ」

「いいや、泥棒だ」

「梅の実よ」

「いいや、泥棒だ、動いている」

 

中原は私が戸外に出て、それを確かめたことをいっても信じないんです。泥棒が玄関から

来るといって、階段のところに腰かけて、じっと見ているんです。私もやっぱり起き出さずに

おれません。

 

「梅の実が落ちてるんだから」

「シィーッ、影が動く」

「梅の音よ」

「泥棒だ」

 

 こうなってくると、私はもう寝られません。梅の実が屋根に落ちる音だとおもっていたか

ら、別にその音が気にならなくなっていましたけど、中原がこんなにまでいうと、その音を泥

棒のだとは思わなくても、別の強迫観念みたいなものが、わたしの心に頭をもたげてきた

んです。

 

(同。)

 

 

泰子はここまで喋って

この状態の自分の潔癖症が

中原と同棲時にはそれほどひどいものではなく

ひどくなったのは

小林のところへ行ってからだったことをあかします。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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