中原中也・詩の宝島/ランボーを介した交流<はじまり・その23>/「或る男の肖像」の彼女
「或る夜の幻想(一、三)」は
続いてこの詩「或る男の肖像」を読むように誘います。
◇
或る男の肖像
1
洋行(ようこう)帰(がえ)りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。
夜毎(よごと)喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。
死んだと聞いてはいっそうあわれであった。
2
――幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外(そと)に出て行った。
剃(そ)りたての、頸条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。
開け放たれた戸口から
悔恨(かいこん)は、風と一緒に容赦(ようしゃ)なく
吹込(ふきこ)んでいた。
読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。
3
彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭(ふ)いていた。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
この詩「或る男の肖像」は
「在りし日の歌」に収録されて広く知られていますが
元は、
1 彼女の部屋
2 村の時計
3 彼女
4 或る男の肖像
5 無題
6 壁
――という6節構成の詩「或る夜の幻想」の第4節、第5節、第6節でした。
「在りし日の歌」では
6節のうちの
彼女を主語にした第1節と第3節は収録されず
第2節が「村の時計」として独立して収録され
第4節、第5節、第6節が「或る男の肖像」として独立して収録されました。
「或る男の肖像」にも
彼女が最終節に現われますが
彼女は壁の中へ這入ってしまうのです。
◇
壁の中に這入ってしまうところ。
ここに
彼女の臍(おへそ)は、
背中にあった
――という詩行の反響があります。
小林秀雄の手記断片にある
いんげん豆が椅子を降りて来る夢
――にも通じるシュールな映像(イメージ)です。
◇
今回はここまで。
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